手帳手記」カテゴリーアーカイブ

手帳手記_20200602_火_宿痾

 毎日、在宅ワークが続くと、どうにも生活の中に彩りというかメリハリというか、リズムが生まれない。
 そのあげく、朝は9時近くまで寝て、夜は19時半くらいまでパソコンに向かうなんて生活を繰り返しているが。


 どうやら2週間ほどたつと、体の中からドーパミンが抜けて、だるさや、倦怠感のようなものが生まれるらしい。
 そして、あるいはコレが、先週の記事に対する「ハングリー感」なのかもしれない。
 
 どうにもこのハングリー感というものは、アンコンフォートな状態だ。
 つまり、満たされなさやもの足りなさ、つまらなさといった状態が続くのだ。
 そうすると、そうすると、2週間前に書いた、「何か起こりそうな気がする、アダルトなものを2週間断てば」という気持ちは一切消え、いわんや、じゃあこのままずっとやってやろうなんて気持ちも起きないのだ。
 

 そうすると生まれてくるのはリセット願望というやつだ。
 「こんなつまらん、しんどい状態は嫌だと無意識に(本当に、ほぼ意識はなく、虚ろな状態なのだ)アダルトなものを欲し始める訳だな。
 そして、1時間後には、アーア、と言いながらまた同じことを繰り返す訳だ。(本当にウンザリするが)


 そして、そんなことを繰り返して今はもう30になろうとしている訳だが。


 [2020/06/03 編集後記]
 ・天気晴れ
 ・部屋の掃除
 ・テレカンでの打ち合わせ
 ⇒これで、この気持ち(満たされなさやもの足りなさ、つまらなさといった状態)はきれいに無くなったことを記しておく

手帳手記_20200529_金_my home

 しょうこりもなく、風呂の中で書いている。特に書きたいことがある訳でもないのだが。

——
 例えば、スーパーのレジに並んでいるとする。
 左の方から若いコ(この「若いコ」という言いかたはオッサンくさいと指摘されたなそういえば)が来るとする。
 彼女は髪をかき上げてちらっとこっちを見てくれたとする。
 俺はといえば、そこで彼女に目を合わせるのがはずかしくって目が合わせれられず、気付かないフリをして前を見ている。あるいは、ちらっと彼女の方を見て、視線をすぐそらせてしまう。

 そういう好機を俺はすぐに、いつも、逃す。
 そして、自宅のマンションの階段をのぼりながら、あの時、しっかり目を合わせて、声をかけてたら、なんて思ったりする。

 いくら女性がチャンスをくれていても、俺につかむ勇気や力が無ければ、本当、申し訳ないよ。
 シカモ、この勇気のなさってのは、(ハングリー感のなさってのは)つまるところ、アダルト依存の代償なんだから、グウの音も出せないくらい自業自得だね。(ちなみに今週末で2週間断ってることになる)

——
 スーパーなんかで小さな子どもの居る家族連れを見ると、自分の子どもの頃を思い出す。
 そして思う。あの頃の幸福感を、例えば俺が結婚して家庭を持った時につくり出すことができるだろうか?と。
 
 5~6歳くらいのころの我が家族の幸福感といったらなかった。(今振り返るとだが)
 そして、最近になって、その頃、幸福過ぎたから、その頃と対比して、今がより不幸せに感じるのではないかと思う。

 母のことは大好きでいつもまとわりついていたし、兄のことも大好きで、いつも一緒に何かやってた。
 そして、夜になるとFatherが帰ってきて、よりいっそう家の中が楽しくなったものだ。
 
 本当に思う。
 同じ男として、彼は、父は、Father、あの人は、一体、どうやって、いや、あの二人は、いったいどうやって、あんな不変な安定感を出して、維持していたのだろうか?と。
 (おそらくだが)今の自分よりも、二人の仕事の方がはるかにしんどく、給料もそこまで高くなかったと思うのだが、一体、どうやって?と。

 それは、あるいは、彼らが、あの二人自体が、楽しんでいた。幸せだったからに他ならないのかもしれないなと、風呂の中で一瞬思ったりしたが真偽のほどはわからない。

手帳手記_20200526_火_腰の重い男

 借りてきたDVDも、読みかけの小説も全部なくなったら、22:20にもかかわらず、ベッドの中でこうやって書くしかないのかもしれない。

——
 「そりゃ確かにアプリ使ったら早いやろうけど…」
 私がもうアプリを使って恋人を探すしかないとぐちった時に彼女はこう言った。
 しばしば、その、「けど…」の後の余白が思い出される。
 
 まだアプリには手を出していないが、その「けど…」について考えてみると、一つの結論にたどりついた。
 それはつまり、「けどそれじゃドラマがない(あるいは、ロマンスがない)よね」ということだったんじゃないかということだ。
 たしかにそれは言えている。そして、もう一度考えてみると、それは形式の話なんだなということに気が付いた。
 
 つまり、音楽を、iPhoneのストリーミングで聞くのか、ラジカセで聞くのか、CDで聞くのか、あるいは、レコードで聞くのかということと同じだと。
 
 「誰かと付き合う」ということについて、私みたいな古くさい男は、その出会いに含まれるドラマだったり、ロマンスも含めて、味わおうとしているのだ。
 それは、現在において曲をレコードで聞くかのごとく、手間で、形式ばったものなのだ。
 イマドキの一部の人にとっては、曲は、iTunesで秒単位でダウンロードし、iPhoneですぐさま聞く。
 同じように、恋人は出会い系アプリで探し、すぐにマッチングの出会いを得る。

 そう、アプリでの出会いは何というか、時代にそくしていると思う。
 その一方でナゾのこだわりを持つ一部の少数派はと言うと、音楽を聴くだけでも、こだわりを発揮してレコードで聞くのだ。それは、音楽をきくまでの過程や、一連の形式も含めて味わいたいからに他ならないだろう。
 同じように一部の人間はアプリではなく、偶然や縁にまかせた出会いを選ぶ。それはやはり、出会いに含まれるロマンスを味わいたいからに他ならないのだと思う。

手帳手記_20200526_火

 書くべきか、読むべきか、それが問題だ。

——
 専門分野の勉強をしていると、自分がいかに無知で理解力に乏しい人間かということに嫌というほど打ちのめされることになる。

——
 朝、気持ち良く二度寝なんかしている時に、ベッドの真下(心臓のところ)から、ドンという突き上げをくらう訳だが。
 そうすると、一日中、下の住人にどうやって仕返ししてやろうかと考えたりする。

 いや、正確には、本能的にイライラして、他のことが考えられなくなると言っても良い。

 これは危険な兆候だ。
 一時的な感情に身を任せて行動すると、良くない結果がついてまわると、嫌というほど過去に経験しているにもかかわらず、どうすることもできなくなるのだ。

 もちろん、一時的な抑制は可能だが、仕返しをやめるということはない。

——
 しかし、そう、一方で冷静な頭の部分が「そんなことを考えることに時間をつかって何になる、全くの無駄じゃないか。マトモなやつの考えることじゃないよ、もうこんなこと考えるくらいなら引越そうぜ」と言っているのも理解している。

 最近はその意見に従う方針だ。
 だけど今朝の仕返しは忘れるわけにはいかない。
 という具合なのだ。

——
 村上春樹の「騎士団長殺し」を読み終えた後、30歳になった今、からでも何か書こうと思った。エッセイでもルポでもなく何か小説を。
 この世の中で、どんなものであれ小説というものが存在している、あるいは人に与える効果というものは、そう、絶やしてはいけないと直感的に思ったのだ。

 そう、それが階下の住人から不意にドンと真下から突き上げをくらうような生活であっても。
 小説というのは一時的であれ、現実を忘れさせ、物語の世界に私達を導いてくれるがゆえに尊い。

 そのような小説を生み出せるようになりたいと、そう思ったのだ。

手帳手記_20200522_金_中身のない男

なにか、自分にとって都合の良いことばかりが、
あるいは良いことばかりが起こると、
何かの前ぶれではないかと思ってナーバスになる。
ウヌボレがノドもとまで来ている自分に対して、それを受け入れまいとする気持ちと、あっけなく受け入れようとする自分がせめぎあう。
俺は何をしているんだ
俺は何をしているんだ
俺は一体何をやっているんだ。

ちやほやされれば素直に嬉しいのだが、それで足元を踏みそこなっちゃ本末転倒だ。
何をやってる?
何をやろうとしている?

思えばそう、いつか書こうと思っていたんだが、
俺は、承認欲求が強過ぎる。
誰かのYesに飢え過ぎている。
それがないとひどすぎるくらいナーバスになる。
それは、言いかえれば自分の芯がない。
行動の指針が誰かの承認になってしまっている。
(愚かなサラリーマンの行く末だ)
評価という飴の中毒者。
自分にとって、自分をどうしたいか、どこに向かっているのか、
今さらかよと思うかもしれないが、
このままじゃ、何もない男になってしまう。

手帳手記_20200518_月

 言い訳をする気じゃないが、土日とまたやっちまった。
 それでも6kgのダンベルを持ってスクワット30×3セット
 足上げ10×3セット
 (足を椅子に乗せて)腹筋30×3セット
 (足を椅子に乗せて)腕立て15×3セット
 するってのは、一体、何を考えてんだろうね?

 最近読んでいる本に宿痾という言葉が出てきた。
 言わば、宿命みたいな意味だ。

——

 状況としての孤独というのは、思った以上にストレスが大きいのかもしれないなと今さら思った。
 それは、人を強制的に何かに依存させてしまうほどに。
 (しかしこのまま誰かとお付き合いすることになったとしたら、その人に依存してしまうのは目に見えているな)
 
——

 この土日を通して、こう考えた。
 つまり、今までとは取り組み方を変えなければいけないなと。
 
——

 例えると、今までは、ダムの水が決壊するのを止めるために、放流口を強化したり、水が溜まらない方法を試していたのだ。
 
 だが、今、確実に言えることは、それではダムの決壊は止められそうにない、どうやっても、ということだ。

——

 それはつまり、孤独という状態が既に強いストレスとなっているなら(ダムに大量の水を注ぎこむ原因となっているなら)、いくらダムの周りを強く囲っても、ダムの放流口を強化しても、決壊するのは時間の問題だということだ。

——

 一言でいえば、
 孤独でない状態、日常的にあるいは定期的に誰かと会話したり何らかのコミュニティに参加したりすることが、今考えられるもっとも有力であろう策なのだ。

——

 そしてそのコミュニティなりでの会話は、「本心」つまり、偽りのない自分が出せる必要があると思うのだ。裏表のない自分が。

——
——

不思議なもんだ。昨日と一昨日ヤッチマッタっていうのに、
筋トレして風呂に入ったら、また2週間やってやろうという気分になる。
つまり、やっぱり、アダルトなもの断ちを続ければ、何か、良いことが起こるんじゃないかという気になるのだ。

手帳手記_20200515_金

部屋の温度は28度。湿度は23%。硫黄の影響かは知らんがアレルギーが出て鼻水が止まらん。アダルトなものを最後に見たのは、12日前。なんてこった。身体に力が入らない。オマケに、仕事中なのに。

手帳手記_20200512_火

風呂に入りながら書いている。
それは、風呂に持って入る本が無いからだが。
かと言ってとくに書くこともないが。

——

最近、よく高校の時の夢を見る。しゃべる回数が激減したからかな。

——

下の住人とのトラブルは、続いている。

——

手帳手記_20200507_木_ニュースについて

 風呂の中で書いている20:40だ。
 下の住人との抗争はまだ続いている。
 問題解決のプロに相談したいところだよまったく。

—————
 結局、先週末にまたやっちまった。
 金曜の夜にしゃかりきで筋トレしたまでは良いが、問題はその後の土曜日、疲労が濃すぎて何もできなくなった。
 原因はそれと、
 やはり、夜はiPhoneとWiFiをポストに入れた方が良い。
 特にお酒を飲む時は。飲むなら持つな。持つなら飲むな。だ。

—————
 さっき、7時のNHKニュースで、コロナの影響で、お金がなくなって、雑草を食べて生き延びてる、みたいなこと言ってた気がするんだけど、空耳だったのか?
 気になってネットで調べても出てない。
 
 [2020/05/10 編集後記]
 10万円一律給付 “貧困家庭などへ寄付検討を” 専用サイト開設(NHK)
 

団体には連日、母親などから助けを求める相談が相次いでいて、なかには「自分は一日一食におさえて子どもに食材を回している」とか、「食べるものも底をつき、空腹を水でしのいでいる」「河川敷で雑草をとって食べるなど生活がきつい」といった悲痛な声が寄せられているということです。

 ⇒とりあえず記事で取り上げられていた団体「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」に3,000円寄付したよ

—————
 ニュースやネットの記事で、DVの話や貧困の話があがってる。DVの話って、ちょっと、やばくないか?児童虐待にしてもさ、思ったのは、そういうことをやってる加害者が、東京にはウジャウジャ居るってことでしょ?ってこと。
 
 一体、何なんだろうね。一体、何が原因なんだろうね。
 学校でそういうことってたいていしないから、大人になってから、そうなってしまうのか?
 だとしたら、一体何がそうしてしまうのか?
 
 一つ言えるのは、一つ言えるのは、皆が、誰もが抱えきれないストレスを持っているということだ。
 本当に多くの人が。
 そうでなければ、こんな状況になるか?自分のストレスを暴力やアダルトなもので解決しようとするか?
 
 ガンジーの言葉じゃないけど、あるいは、
 あるいは、誰かひとりでもこのストレスの輪から抜け出すことができれば、
 そのストレスを受けない生活の方法を見つけることができれば、全体を解決できる日は来るかもしれない。

手帳手記_20200501_金_かろうじてhold myself

 飢餓感は日に日に増している。
 今日はダメかと思ったけど。なんとかやりすごすことができた。

——–
 彼女も、友人もおらず、アダルトなものにも逃げられない。そんな夜は、音楽を流しながら筋トレをフルセットこなすにかぎる。汗だくになりながら。
 そうすると、歌ってる桜井さんやAKGのメンバーも、ココに居る。この状態で皆がんばってんだなということがわかってジンと来る。そして筋トレ後、鏡を見ると、たしかにマッチョになっている自分を見つけると、文句なしだな。(体重は55.0kg)

 アダルトなものを選択しなくなったもう一つの理由があった。それは、会社の後輩の存在だ。
 なんと言うか、彼らにアドバイスなんかをしている自分について考えた時、彼らの立場から考えると、ヤメトコとなるのだ。「そういうことをしている自分」ってのを避けたくなるんだな。見栄ってやつだな。
 そいつのおかげで自分を保ってるんだからありがたいもんだ。

手帳手記_20200430_木_ストレス分解

 寝る前に書いている。
 飢餓感は強くなる一方だ。
 ふと立ち止まって考えると、それは刺激物の味を知ってしまっているからだ。知るべきではなかった、手に入れるべきでなかった刺激物を手に入れた代償、これまで無料タダで手に入れてきたマヤクの代償なのだと。

 ヤレヤレ。

 一方でそれは、そのマヤクの大きさは、この現実世界から受けた、かかえきれなかったストレスの大きさでもあるのだ。
 もしアダルトなものを身体から抜こうと思うのならば、そのヒュージストレスをなんとかシラフでやりすごすしかないのだ。

手帳手記_20200429_水_理性と本能

 風呂に入りながら書いている祝日の水曜日だ。
 ここのところ、ずっと、下階の住人に悩まされている。はたしてどんな方法かはわからないが、私の居場所を把握したうえで、天井をドンと突いてくるのだ。これにはいささかまいる。常に心臓がどくどくしていて、最近では胸に痛みを覚えるようになってきた。
 まあ、例のごとく目には目をでやり返してはいるのだが。

———

 今日はなぜ筆を執ったのかというと(それも風呂で)、まあ、久々にアダルトなもの断ちが19日目に入り、今日、誘惑を回避できた(?)のでそのあたりをふまえて今の状況を整理しておきたいと思ったからだ。

———

 2週間ばかし、アダルトなものを排除した生活を続けていると、だな。どんなことになるかというと。例えば、ずっと味の無い料理を2週間食べ続けた男が、丁度、味の濃いカレーライスや、ステーキなんかを思い浮かべるかのような状態になる。
 つまり、一言でいうと刺激が欲しくなる。
 しかも、その刺激は無料で手に入り、誰にも咎められないのだ。つまり、2週間パンと水で生活していた男に、三ツ星レストランの出前の無料チケットが手渡されているような状態なんだ。

 だが、最近はそのチケットを使う回数が減ってきた。
 それはナゼか。ナゼか、それはおそらく年齢のセイだと思う。
 つまり、そんなチケットでも過去に何回も、いや、何百、何千回と同じメニューなのであれば、また、それが本当にタダではないと気付いたら、使わない選択肢も採れるようになるということだ。
 
 今回の場合はと言うと。
 私は本当にそのチケットを使いたかった。
 だが、いつもと違ったのは、自分からそのチケットを持ってレストランに行くのではなく、チケットは使いたいけど、ここに料理があれば食べたいな、レストランまで行こうとは思わない。というかなり微妙な理性があったということだ。
 
 そして私は本能的にそのチケットを避けていた。受け入れてはいなかった。だから、しばらく、ウーとうなった後、そのチケット(wifiとiPhone)を郵便ポストにしまい込むことができたのだった。
 少しも理論的じゃないけど、今日はこんな感じだった。―2020/04/30(水)

手帳手記_20200415_水_本質についての考察その1

 ひさしぶりにペンをとっている水曜の夜19時だ。
 自由とは、人生とは、生きるとは、生活とは、豊かさとは、
 本質を失ってはイケナイ。本質とは、本質とは、本質トハ。本質とは、本質トハ。トハ。無駄な言葉の消費。本質とは、だな。本質とは、そう、そう、具体的なもの、具体的なこと。
 明確で明らかで、シンプルで誰でもできる。そういうものが本質なんだ。
 タトエバ。タトエバ、そう。毎朝、納豆1パックを黒酢大さじ1杯で混ぜて、卵1つの卵焼きと、インスタントみそ汁1杯と、ご飯1膳を食べる。これにまさる本質はない。これにまさる本質はない。ここがすべての源、原点だ。ここから全てが始まるのだ。

手帳手記_20200209_月

 福島は会津若松、グリーンホテル会津(アイヅと読む)にて書いている17:37だ。
 部屋は素泊り\5,500-の4Fで。小さなTVとトイレとシャワーが付いている。
 この4連休、間違ってアダルトなものに走ってしまわないようにと出た旅だったのに。
 ビジネスホテルの部屋の中には有料チャンネルのパンフなんかが置いてあって、これじゃ家より悪い環境だよ。トホホとなったのは言うまでもない。こうして小さな部屋に横になっていると、あの7番の日々を思い出す。

 ぬるま湯、あるいは誰かの庇護のもとで当たり前の様に生活をしていて、一人立ちしてからもそのぬるま湯が当たり前だと思っていると、予期せぬ冷水をある日とつぜんあびせかけられる。なんて経験をすることになる。


 その頃の私は毎日イライラしていた。
 朝は6時頃起き、7時に電車に乗ろうとすると、となりのサラリーマンに割込みされる。
 電車の中では必ずと言ってよいほど誰かにぶつかられた。あるいは、押された。それが混んでいる時ならまだしも、私の場合は私一人しか立っていないような時でも、なぜか隣に来たサラリーマンに押しやられるといった経験が多かった。
 また、私をもっともイライラさせたのは車内での不躾なジロジロ見だった。
 もちろん女性からの視線は全く問題なかったが、なぜか私は中年のサラリーマンに好かれるタチらしく、この頃は毎日必ずと言ってよいほど、不躾にジロジロ見られていた。
 それは今でも実はあまり変わらないが、その頃は心の余裕もなく、ただイライラしていた。
 悪いのは、余裕が無いとき、そういった押されたりすることがあると、もちろん、押し返したり、ぶつかられると、ぶつかり返したりした。つまり目には目を歯には歯をの考え方だ。
 そんな毎日が何か月か過ぎ、ある日、そう、事件が起きた。
 留置場に入れられたのだ。


 事の経緯はこうだ。
 その時私は帰宅のための電車に乗っており、椅子に座っていた。
 しばらくすると混んできて人が多くなってきて、誰かの鞄が当たるようになった。
 またいつものかと思った私は、そのカバンを靴の先で、向こうへ追いやった。
 そうすると、左の方の男がジロジロ見始めたのだった。
 事の経緯ははぶくが、私が蹴ったカバンの男が私に因縁をつけ始め、どうやら酔っぱらっているらしいその男は私の悪口を言い始めたのだった。
 さらに最悪なのはその酔っぱらいは3人のグループで、こっちを指さして悪口を言い始めたのだった。もちろん車内でだ。
 私はと言うと、この時、誰かの鞄を足でけったことは頭になく、つまり、ただの酔っぱらいが私を指さして悪口を言い始めたと認識したのであった。
 しかも、その頃の私はこういう不愉快なことにならないためにジムに通っていたため、その酔っぱらいにナメられてたまるかということもあり、襟元をつかまえてビンタしたのだった。
 もしこれが小説の世界なら、もっとすんなりと終わっていたかもしれないが、この酔っぱらいがかなり

手帳手記_20200109_木

 リセットした後はゼロベースで始めるしかない。
 凪の時に立ち止まってしまったら、舟は遭難する。
 心が反応する方向へ進むしかない。
 心が反応する方向へ。
 広いところ自由なところ安心できるところへ行こう。

手帳手記_20200106_月

 10:30のコジマの開店待ちで、近くの喫茶店「樹」で書いている有給の月曜日だ。
 easy fix easy stress って言葉でなんとか自分をごまかしているが、先週はなんと毎日、アダルトなものを見てしまった。実家に帰る時は万全の体制を築いておかなくてはいけないな。
 easy fix easy stress。
 自分のストレスは自分で管理したいもんだ。自分の人生も。自分自身も。

手帳手記_20191217_火

 テーブルに脚をのせて、ジョンメイヤーのno such thingを聴きながら書いている。書くことができることが、豊かさの一種だと思う今だ。
 「最近、会話をしていないな」と思う。ひどく。
 それは、自分自身ともそうだし、他人ともそうだ。そして、一番会話をしたい人は家庭があってだな。一人身の男はその身に毒を醸造することになる。
 誰かと会話したい。ひどくゆっくりした会話を。
 何も心配しなくていい会話を。

手帳手記_20191106_水_ひどい一日

 毎日をなんとか生きぬくのに必死なのに将来の事に思いをめぐらせたりワクワクするイメージを想像したりすることなんて誰ができようか?この悪夢に満ちた世界で自分を保つのに必死だよ。本当。
 そんな中で、家に帰ると、下の住人は何もしていないのに天井をつき上げてくる。不意に。高ストレスな状態が続いて生きることすら疲れてくるよ。
 そんな中で将来のことや興味のあることを見つけようなんて誰ができる?
 俺が欲しいのは安全で安心できる場所。それだけ。それだけなんだよ。

手帳手記_20191225_水_2

 昔のノートに、「目的地の決まっていない舟の行先は一つしかない。すなわち転覆だ」と書いたことがある。
 しかし、今はこう思う。
 「たとえ目的地が決まっていなくても。まがりなりにも、陸地から次の陸地へ航海する術を身に着け、たとえ舟には一人だとしても、その陸地から新しい陸地への航海を楽しむことができるのなら、それは目的地が決まっていなくても悪くない旅なのではないか」ということだ。

手帳手記_20191225_水

 昔の自分の文章を読むと、割とまあ、読めるものを書いていたんだなと思ったりして、また、無印のレポート用紙と、ミツビシの紺色の鉛筆で書こうかななんて思う。
 毎日はただ流れる川?毎日良い時と悪い時もある?いや、そうではない。そうではない。今がもし良い時なら、良くなっている理由ってのが必ずある。それを意識して継続しておかないと、またいつものパターン。同じことの繰り返しになってしまう。
 こんなことを真剣に考えるのは、バカらしい?つかれる?大変だ?
 あるいは言うとおりかもしれない。
 そんなこと考えなくても毎日は過ごせるし、良いことが起こる時もある。あるいは意識して継続していたとしても、悪いことは起こるから無意味だと。
 あるいは、そうかもしれない。あるいは。
 そう、そういう意見にケチをつける気は全くもってない。ただ、自分が言いたいことは一つだけだ。それでは変われない。と。そう。それでは絶対に、これまでのループを抜け出すことはできない。

 それは鉛筆の握り方に似ている。今までの自分の字を変えたいのなら、意識して新しい鉛筆の握り方を習慣づけなければならない。それはたしかに不便で、めんどうで、大変かもしれない。ただし、それを意識して毎日続けていけば、必ず握り方は変わる。そう、それは間違いなく。

 アアア、久々に書いている金曜の夜12:35だ。いままで何回この書き出しで書き始めたろう?それと同じくらい失敗している訳なんだ。
 そう、アタマで、そんなことを思っていたって変えられないことはあるものだ。だが、希望が無い訳ではない。特定のアクションを行うことで、悪しき習慣を変えることは可能だと、そう書いてある本(※)が存在するからだ。
 
 ※習慣の力 – チャールズ・デュヒッグ
 ※WILLPOWER 意志力の科学 – ロイ・バウマイスター (著), ジョン・ティアニー (著), 渡会 圭子 (翻訳)

 ここからは具体的な話になる。私がどうやって、ノンアダルトで四週間目を過ごしているかの。
 
 タバコなんかの依存症について書いてある本に、「よくありがちな失敗例」みたいな記載で、「禁煙を決意した人は、まず身の回り(家の中)からタバコをすべて排除しようとする。これじゃあ失敗する」みたいな記載があるが、私はそうは思わない。最初の出発点はここから始まると思う。アダルトなものに依存しているなら、どうやってもアダルトなものに依存できない状況を作り出す必要がある。私の場合を例にすれば、まずPCやiPhoneからそういったものを排除(削除)した。そして、PCの場合は、フィルタリングソフトを導入して、長く暗記できないパスワードを設定して紙にメモしておいた。iPhoneの場合は、アクセス制御というフィルタリング機能がデフォルトで存在するので、同様に、フィルタリング設定をしたうえで、パスワードを掛けておいた。
 まだその状態ではだめだった。そのため、パスワードを書いた紙を封筒に入れ、職場の個人のキャビネットに入れておいた。こうしておけば、フィルタリングを解除することはできない。しかし、フィルタリングというのは十分ではない。そのため、まだ対策が必要だった。
 最後に私が行ったのは、週末になると、金曜日の夜、家に帰る前に、WifiとiPhoneを駅のコインロッカーに入れて帰宅することだった。意図的にそうしていたのだが、私の家はプロバイダと契約していないため、WifiとiPhoneが無ければネットワークに接続することが物理的にできないのだ。ここまでの取り組みで、私は「どうやってもアダルトなものに依存できない状況」を作り出すことができた。しかし、ここまでだと、最初の「よくありがちな失敗例」の通り、失敗することが分かった。
 金曜の夜から、月曜の朝まで、コインロッカーの鍵を開けなければ、もちろん大丈夫だと思う。しかし、実生活はそうはいかない。iPhoneが無ければ、電話できないし、Wifiが無ければ、会社の持ち帰り仕事や、旅行の予約や検索ができない。そういったときには、土曜の朝か、あるいは日曜の朝にコインロッカーの鍵を開け、「どうやってもアダルトなものに依存できない状況」を解除する必要があるのだ。また、あるいは、アダルトなものはwifiやiPhoneが無くても簡単に手に入れることができる。TSUTAYAでアダルトなDVDを借りればいいし(そんなことはやらないが)、コンビニでもエッチな本を買うことができる(そんなことはやってないが)。そう、最終的には、依存する心、みたいなものを矯正して、そもそもそういったものを手に入れようとする気持ちをなんとかしないと、物理的な部分だけではどうやっても解決できない問題なのだ。

 そうなってくると、もう、お手上げなのだ。個人の力で、薬抜きにインフルエンザや、その他の病気に立ち向かうことができないように、個人の力では限界がある。
 そんな時に私が見つけたのは、本だった。それは具体的にアダルトなものへの依存について書かれた本ではなかったが、「どうやったら我慢できるか」が書かれた本だった。それは宗教的な本ではなく、アメリカの精神科学の学術書だった。つまり論理的な話、あるいは事実に基づいて導き出されたある種の法則が書かれていたのだった。
 
 その本に書かれてあったことで、今の私に効きそうな要点を何点か記そう。だが、本当に効き目があるのはその本を読むことだと思うが。
 まず、その本では我慢の実験のために、子どもの前に、甘いお菓子を置いて、その子がどれだけ我慢できるかを試した。そして、一定時間を我慢できた子と、我慢できなかった子の違いを調べた。
 その実験から導き出された法則として、「我慢の対象について、意識した子どもほど、我慢できる時間が短かった(我慢できなかった)というものがある。
 すなわち、この法則を私に当てはめると、「できるだけ、アダルトなものを想像しない、意識しないようにする」ということになる。逆に言うと、アダルトなものを意識したり、渇望した時点で、もう終わりに近いのだ。
 
 次に、その本では、何が意志の力を生むのか、我慢の源となるのかについて実験を行っていた。
 結論としては、他人に褒められたりして、ポジティブな思考の時には、我慢強くなるということが分かった。また、「孤独を感じないようにする」「運動をする」ということも我慢強さが増す要因であることが分かった。
 あるいは、「信じる」ことが重要だということが分かった。言い換えると、「できると思う」ということで、自分がアダルトなものに依存しない生活を手に入れることができる、と本当に思っているかどうかが重要だということになる。

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 ビロウな話で恐縮だが、アダルトなもの断ちの習慣も四週目に入った。
11月に同様に四週目に入った時があるが、その時のメモがカレンダーに書かれている。たった一言、”地獄”と。

 風呂に入りながら、こう考えた「あるもので勝負するしかない」と。
 
 アダルトなものを断つ習慣を身に付ける方法。そんなものがあれば苦労はないのだが、この三週間で感じた”コツ”みたいなものを書くとすれば、それは、feelingだ。すなわち、アダルトなものがなくても楽しいと感じるfeelingそれにつきる。
 
 例えばそのfeelingとは、「引越し」だったり、「iPhoneアプリをつくる」だったり、「独立する」といった将来のイメージ、身近なものでいうと、「あれを食べたい」とか、「ここに行きたい」とか、「あれを買う」とかっていう心に直接ひびくfeeling。テンションの上がる思いつき、like that。
 
 コツとは、そういったfeelingを拾う意識だ。
 見つけようとする心の持ちようだ。そういったfeelingの回収作業がアダルトなしでもやっていける生活をつくるのだと感じる。Don’t think. Feel.

―2019/12/25 水