手帳手記_20200526_火_腰の重い男

 借りてきたDVDも、読みかけの小説も全部なくなったら、22:20にもかかわらず、ベッドの中でこうやって書くしかないのかもしれない。

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 「そりゃ確かにアプリ使ったら早いやろうけど…」
 私がもうアプリを使って恋人を探すしかないとぐちった時に彼女はこう言った。
 しばしば、その、「けど…」の後の余白が思い出される。
 
 まだアプリには手を出していないが、その「けど…」について考えてみると、一つの結論にたどりついた。
 それはつまり、「けどそれじゃドラマがない(あるいは、ロマンスがない)よね」ということだったんじゃないかということだ。
 たしかにそれは言えている。そして、もう一度考えてみると、それは形式の話なんだなということに気が付いた。
 
 つまり、音楽を、iPhoneのストリーミングで聞くのか、ラジカセで聞くのか、CDで聞くのか、あるいは、レコードで聞くのかということと同じだと。
 
 「誰かと付き合う」ということについて、私みたいな古くさい男は、その出会いに含まれるドラマだったり、ロマンスも含めて、味わおうとしているのだ。
 それは、現在において曲をレコードで聞くかのごとく、手間で、形式ばったものなのだ。
 イマドキの一部の人にとっては、曲は、iTunesで秒単位でダウンロードし、iPhoneですぐさま聞く。
 同じように、恋人は出会い系アプリで探し、すぐにマッチングの出会いを得る。

 そう、アプリでの出会いは何というか、時代にそくしていると思う。
 その一方でナゾのこだわりを持つ一部の少数派はと言うと、音楽を聴くだけでも、こだわりを発揮してレコードで聞くのだ。それは、音楽をきくまでの過程や、一連の形式も含めて味わいたいからに他ならないだろう。
 同じように一部の人間はアプリではなく、偶然や縁にまかせた出会いを選ぶ。それはやはり、出会いに含まれるロマンスを味わいたいからに他ならないのだと思う。

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