カテゴリー別アーカイブ: 手帳手記

手帳手記_20200920_日

両国の秋の風に吹かれると、久々にセンチメンタルな気分になって、また、何か書こうかなんて思ったりする。
なんともう30になってしまった。
つまり、ハタチになってから、10年も経ったということだ。

恋人までの距離
壊れた恋の直し方
そんな彼なら捨てちゃえば?
噂のモーガン夫妻

手帳手記_20200828_金

飲むなら持つな
持つなら飲むなって
心がけで、郵便ポストにiPhoneとWifiを入れて帰ってきたけどね。

何十週間かぶりに書いている引越し先の風呂の中だ。

30歳の今となって求めるものはと言えば、
一周回って、オーディナリィ。
普通の暮らしに行きついた。

階下の住人に対して常に仕返しを考えなくても良い生活。

手帳手記_20200717_金_DAY6

久々に書いている風呂の中だ。
違約金の話がついたから
さっさと引越しを進めている。

—–
良いことが、10個、起こっているにもかかわらず、
気分はなんかブルーって日はないかい?
今日はそんな一日だった。

心の位置がどうにもおかしい。
評価もされて、仕事も、人間関係も良好で、引越しの話も上手くまとまっているのに、ブルーって。
必ずどこかに不満を探してしまうのだろうか?

近所にお寺が並んでいる通りがあって、
そこを通るとどうにも、心が落ち着く。
まさに言葉の通り、心と、身体があるべきところにおさまるというかんじだ。

=====
金曜日、なんだか心が落ち着かない日、
ブルーな夜は、彼女の店へ行く。

彼女が一人で経営しているバーに。
彼女は私が入ってくると、
隅の席に通してくれる。

そして、他の客から、ジロジロと私の顔をながめまわされないようにと、
自然な形で目隠しをしてくれるのだ。

はたして彼女たちにどれだけ救われているだろう?
恋人でも、好みのタイプでもない男に手を差し伸べてくれる彼女たちには本当に感謝しかない。

その感謝の気持ちで今日も筋トレをする訳だが、いかんせん1日3回目の風呂だとエネルギー切れらしい。
=====

手帳手記_20200714_火

ふと思うと、今の生き方は、40歳か、50歳か、いつかはわからないが、どこかのタイミングで人生が大きく変わり、とても良くなる、今はその道中だから我慢して苦しんでいる。みたいな考え方、思考になっているように思う。

しかし、最近は、そんな生き方じゃなくて、毎日幸せをしっかりと受け止めて、感じながら過ごす人生もあるのではないかと思ったりする。

手帳手記_202007xxx

30歳を0として次の30年をどう生きるかと考えると、
ヤハリ、アダルトなものを断って、トーカティブな生活をしたいと思うよ。

自分の会社を持って、
自由でやりがいのある生活を送っていたいと思うよ。
嫌なことがゼロになって、良いことだけが起こる毎日にしたいよ。

——-
やたらと天井を突き上げてくる様な、
電話をしていると、真下からドンと突きあげてくるような、
早朝の4時や5時にベッドの真下からドンと突きあげてくるような、そんな部屋で冷静に物事が考えられるだろうか?はたして、イエスキリストやブッダなんて人が居たら、目の前で見せてほしいもんだいったいどうやってこの状況をやり過ごすのかを。

——-
とは言え、そう不幸なことばかりではない。
いや本当に。
まず、引越しの資金はあるし、違約金の免除も話が成立している。
そして会社では昇給しているのだから、今の状態に文句を言うとバチが当たるってもんだ。

—–
それにしても孤独ってのは厄介だ。
厄介だからこうやって書いている訳だが。

—–
不意打ちのようにアレイを落とさなくて良い生活

きれいなタオル
きれいなパンツ
きれいな肌着で。

ちゃんとした服で
ちゃんとした状態で
人と接することができる
当たり前の毎日。

そんな状態で交わす人との会話。
友人との会話。
女性との会話。
そんな、一定の温度を常に保つような。

どこか退屈そうだけど、裏の無い、
うしろめたいことのないオープンな毎日。

そんな毎日を欲している。
そんな毎日なら、
そんな毎日なら、
たとえ一人でも、
どこか楽しそうだ。
どこかつながっていそうだ。

そんな毎日を求めてる。
そんな当たり前、普通な日々を。

手帳手記_20200626_金

ジョン・レノンじゃないが、
ヘルプ I need somebody って感じだ。
今日もやってしまった。
この6月はほぼ毎週アダルトなものを見ている。
せっかく会社の人間関係も引越しの話も上手く行っているのに、
これじゃせっかく良いことが起こっているのにまたすぐ悪くなっちまう。

—–
ライフで買い物しながら考えた。
結局、外見が多少太ってようが、お金が無かろうが、その人が豊かな時間を持っているならば、
格好良くなくても
お金持ちじゃなくてもいいんじゃないかと。

つまり、自分の人生に幸せを感じられているのなら、職種も、外見も、関係ないんじゃないかということだ。

—–
結局のところ、一番の大きな問題は、ずっと一人の道を歩いていることなんじゃないかということだ。

オンラインゲームでも良い
趣味のスポーツでも、サバゲ―でも、山登りでも何でもいい。
小学生の頃みたいに、
毎日他人と、できれば親しい友人と遊ぶような
最低でも関わるような、そんな日々を送っていないことが、このアダルトの輪
言い換えると依存症の輪から抜け出すことができない一番の理由なんじゃないかと直感的に思う。

それでどうする?
明日のテニスは行こうか。

それでどうする?

—–
30になってから始めること
それはまず友達をつくることだった。

なんて、どうだろう?

しかし、ここ何年か取り組んでいない新しい取り組みであることは間違いないな。

まずは筋トレ、
次は服、
次はやってみたいことをやる

手帳手記_20200623_火

30にもなると、いいオッサンだ。いいオッサンにもなると、なかなか他人に甘えるということができない。
甘えるということができないというと、つまり、自立だ。
自立と言うと、周りの助けやヘルプがなくても、やっていけるということだ。
周りの助力やヘルプがなくてもやっていけるとは、正に今の、恋人も居ない、友人も、友人以前に、会話できる相手すら居ないかの状況だが。そんな状態でも、やっていけるということだ。
なにはなくても、自分でできることはあるもんだ。
例えば自分であれば、筋トレなんてのは、毎日でも続けていられる。
そういう、自分にできることを丁寧に拾って、一つ一つ実行していく、それが

—–
Interestが枯渇している。
Interestingが。

こうも毎日理論ベースで進めていると、やけになりそうになる。
変化の何も起こらない毎日に。
なんなこと言ったって誰かが何かしてくれることはない。
そうなれば地道に一歩ずつ進んで行く他、あるまい?
道のりははるか遠くまで続いていたとしても、道中どう過ごすかはその人次第だ。
そこに制約はない。(はず)

—–
クレバーに進めろ
クレバーに

わずかな工夫をあきらめるな
わずかな工夫が大きな変化を生む

変化をあきらめるな
変化を

変化をあきらめるな
変化を

毎日は小さな積み重ね
1ヵ月前の自分を思い出せ

毎日は小さな積み重ね
毎日の自分が
明日をつくる

自由に泳げ長い道を
気楽に泳げ遠い道を

明日をあきらめるな
未来をあきらめるな

手帳手記_20200622_月

 人生、と、一言で言っても、人間の24時間は、というと個々の活動の組み合わせで成り立っている。
 そうするならば、そのいくつか個々の要素の良し悪しの、その総量が人生の満足、不満足を決めるのではないだろうか。
 言い換えれば、単純な話、極端な話、一日にあった悪いことの数がたとえ100個あったとしても、
 同じ日に101個の良いことがあれば、その一日は良い一日だったと言えるのではないかと思うのだ。(少し例が極端過ぎて説得力に欠けるな。)

 同じ様に考えると、一週間を、あるいは一か月を、例えば「仕事」、「私生活」、「スポーツ」、「交友関係」といったパーツに分けて考えて、それぞれのパーツの状態について評価できれば、例えば今満足できていないのは「仕事」と、「私生活」の2つだと見極められるんじゃないかと考えた。

 また、そこからさらに細分化して、仕事の中で、私生活の中で、不満があるのはどこか、細かいパーツを点検することができれば、生活の改善はあるいはもう少し楽なのかと思った。
 
 が、今だ実践できてはいないのだが。

手帳手記_20200615_月

 夕食の席でフレンズを見ながら書いている月曜の夜だ。


 人生を変えるのは難しい。
 具体的な言い方にすれば、生活、今までの悪癖、習慣を変えるのは難しい。
 何が難しいかって、まずこうやって立ち止まって考えることが難しい。立ち止まること自体が、この日常の中では難しい。


 また、こうやって立ち止まって考えることができたとして、次にどうやって行動を起こせばいいかがわからない。
 どう考えたらいいのかもわからないのに、何をすればいいのかもわからない。(そうすると、結局こうやって立ち止まることも無意味になる。)


 マア、待て、少し長くなるが、いくつか整理してみよう。

 まず、これまでの経験上、一日の自分の行動、考え方、気分に影響を与えるものは何か?
  ・食事
  ・環境(住まい)
  ・衣服
  ・周りの人間
 このうち、自分がコントロールできるのは最初の3つな訳だ。
 次に、何を変えたいかを考える。
 いくつかあるが、自分の場合は、言うまでもなく「アダルト依存の生活」だ。こいつを、「アダルトに依存しない」生活に変えたい。

 エート、それから、どうやって変えるかを考えてみる。これが難しい。ある本の著者は「ビデオゲーム」で抜け出すことができたと書いている。

 しかし、このビヘイビアが、遺伝的なものであると考える。考える。つまり実家で養われた悪癖だと仮定すると、すると、解決の糸口は、我が父から学ぶことになる。
 すなわち、我が悪癖が遺伝的なものであるとするならば、
 我が父が「やっていないこと」にブレイクスルーがある可能性が極めて高いということだ。
 (我が父がやっていることを自分がやっても、悪癖は解決しない可能性が高いということだ)
 そうするとどうだ。
 その仮定で行動するとすれば、何をする。何をしない?整理してみよう。

===
[編集後記 2020/09/22]
タイプしていて胸糞悪くなる考え方だよまったく。(自分で書いときながら苦笑)
MyFatherもろとも変わるようなプランを思いつけんもんかね?全く。
MyFatherから受けっとっているこれまでの愛情とか、期待とか、信頼とか、一度でも考えたことがあるのかね?
MyFamily全員を考えたうえでのプラン。全員を考えたうえでの道筋を、どうにか見極めたいもんだよ。

手帳手記_20200612_金

 不思議なもので金曜は心が安定する。
 心が安定すると、筋トレしようかと思う。
 筋トレすると不思議にやる気が戻る。それは自分の成長を感じられるからだと思う。

 不安を誰かに言うと心が軽くなるもんだ。

手帳手記_20200610_水

 昨日、今日とまたやっちまった。
 そしてまた風呂の中で書き始めた今だ。

 最後のメモでは、ありありとその状況がレポートされているが、ここでもう少し追記しておこうと思う。

 まず、メモでは、こう書いている。
 『アダルトなものがマイナスされた毎日を、当たり前のものとして受け入れるしかない』と。

 これができたら、今は5週目に王手だった訳だが、コトはそんなに簡単ではない。

 昔、この状態をダムにたとえたが、あらためて同じ状態を体感してみると、少し違うと思った。
 
 この状態は言わば、身体の中のバネ(大きくてとても強い)が、一日ごとに上から力をかけられているようなもので、最後のメモの状態は、この力を溜めに溜めた状態のバネが、身体の内側からプレッシャーをかけてくるかのごとく、とてもじゃないが、制御できるものではなく、また、簡単に消えるものではないのだ。
 
 矛盾しているかもしれないが、その積み重ねた日々こそが、そのバネの力を大きくし、XDAYの到来をまぬがれないようにしているとも言えるのだ。
 
 もし、もう一度、(今思い出せる範囲で)その状態になったとしたら、どうやったら別の結果になっていただろう?


 まず最初に言えることは、王道だが、やはり、「クリック一つでアダルトなものが見れる状態」をつくらないこと、
 「どうやっても、(物理的に)アダルトなものが手に入らない状態をつくり上げていること」だ。
 おそらく、自制心ではもうムリだと思う。

☆別のことを考える×3日
□タバコを吸う
□誰かと3日以内に会う約束を立てる

手帳手記_20200609_火_トリトメのない話2020

 久々にJETSTREAMで書いている平日の昼14:17だ。


 連日の在宅ワークでやる気が底をついている。
 アダルト断ちも、ついに4週目に入り、ついに禁断症状が出始めた。刺激物がノドから手が出るほど欲しくてたまらない。それのことばかり考えてしまう。ヤレヤレ、完全に十数年分のツケだな。


 ただ、まがりなりにも久しぶりにここまで来たのだから、どうせなら次のステージまで進みたいのが人情だ。
 だが、これまでの経験上、「ただ我慢する戦法」では先に進めないことは明白だ。何か手を考えないと。何か、別の手を。(あるいは、こうやって毎日書くのも、手の一つかもしれない)


 村上春樹はエッセイの中で必ず禁煙できる方法というものを書いている。
  ①3週間仕事をやらない
  ②言いたいことを言う
  ③食べたいものを食べる
 というものだ。これが満たせれば、彼は必ず禁煙できるという。
 はたまた残念なことに、俺がやりたいのは、アダルトなものを見ないで一生を過ごすことじゃない。
 その代わりの何かを欲してるんだな。
 そして、その代わりがすぐに手に入らないから、元の状態に戻ろうとしてしまうんだな。


 そんな虫の良い話はなく、今の自分にできることは、代わりを求めず、ただ、いつもの日常から、アダルトなものが引き算されたこの状態を当たり前のものとして受け入れることだ。
 この足りていない状態が当たり前だと。

 これはかなりしんどい。
 なぜなら、今まで当たり前にあって、今でも手を伸ばせば届くところにあるものを、無いものとして扱わないといけないからだ。これはしんどい。何でこんなしんどいことしなきゃならんのだと思うほどしんどい。これは、いよいよだ。
 3週間前まで、アダルトなものを止めることが目的だったのが、4週目になって、その目的の意味を考え始めるからだ。
 しかし、その目的の意味はと言うと、「何が良いことが起こると思うから」という完全なフィーリングであって、明確な意味はなく、ましてや、今に至ってはそのフィーリングも感じられないのだ。


 そうすると、これから先、何か別の、当初のフィーリング以外の意味を見つけなくてはならん。俗に言う、動機付けというやつが。
ただ、何にもまして、フィーリング以上に意味のあるもの、モチベーションとなるものも少ない。

 フィーリングこそが、この3週間を続けさせていることを忘れてはならない。

 「~すれば良いことが起こりそうな気がする」
 そんなフィーリングを見つける、感知する他ないな。

手帳手記_20200608_月

 6月の風に吹かれて昔の曲なんかがかかると、大学の頃や高校の頃のイノセントな時の感覚が戻ってきて、今の人生は全くとり返しのつかないことをしてしまったんじゃないかと思ったりする。


 そうするとまず思うのは、根の生えた生活をしたいということであり、根の生えた生活なら故郷で小学校の先生として生きたいということだ。


 ただ、そうすると過去2回も通信制の大学に入学したにもかかわらず、一つも単位をとれなかったことや過去の検討の経緯を思い出して足が止まる。


 村上春樹の昔の話、ジャズ喫茶で生活を立てていたなんて話を聞くと、良いなと思う。


 貧乏でもいいからこれがやりたいというものが自分にはない。


 おそらく、アダルトなものへの依存が切れないのは、そのせいなんだろうと直感的に思う。
 本能的に、どうしてもやりたいこと、これができたらお金なんていらない、なんてことが毎日できていたら、自然と満足した毎日が過ごせるはずなんだ。
 今はというと、何も起こらないのに、ただ何かを待っている。そんな無駄な日々を意味もなく消費している。


 理想で言えば、この部屋から引越しして、静かな部屋で生活したい。

☆良いなと思ったことをまずやってみる
 →美術:神保町へ行く
 →ランニング

☆良いなと思った場所に住む

手帳手記_20200604_木

 不思議なもんで、縄跳び3分×3セット、6kgのダンベルを持ってスクワット40×3セット、3kgのダンベルを持って背筋30×3セット、腹筋20×3セット、腕立て20×3セット(両方とも足を椅子に乗せて)をして、風呂に入ると昔の楽しかったことを思い出してまたちゃんとやろうと思う。

手帳手記_20200531_日

 ついに風呂の中じゃなくて夕食のテーブルで書いている。サラダとカツオのたたきを前に。


 アダルトなものを排除する生活、筋トレ、家計簿。この3つのうち、どれかが継続できていればいいと思っているが、ウィンドウズのトランプゲームで一日を過ごしている状態には、すこし、いや、かなり、見直しが必要だと思うな。


 俺が今欲しいのは、不意に天井をドンと突かれない、階下の住人になぜか、居場所を知られているなんてことがないふつうに考えれば、当たり前の生活だ。
 しかし、なんと、これまで、生活してきた四つの家、はたまた実家でも、同じようなことが起こると、自分になにか問題があるのではないかと考えてしまう。
 現実的に、そんなことはない(友人もいる時に起こっている)から、これはもう何かの試練かなにかなのかもしれない。


 少しずつ変える。イラストレータの専門学校でも受けてみようか。

手帳手記_20200602_火_宿痾

 毎日、在宅ワークが続くと、どうにも生活の中に彩りというかメリハリというか、リズムが生まれない。
 そのあげく、朝は9時近くまで寝て、夜は19時半くらいまでパソコンに向かうなんて生活を繰り返しているが。


 どうやら2週間ほどたつと、体の中からドーパミンが抜けて、だるさや、倦怠感のようなものが生まれるらしい。
 そして、あるいはコレが、先週の記事に対する「ハングリー感」なのかもしれない。
 
 どうにもこのハングリー感というものは、アンコンフォートな状態だ。
 つまり、満たされなさやもの足りなさ、つまらなさといった状態が続くのだ。
 そうすると、そうすると、2週間前に書いた、「何か起こりそうな気がする、アダルトなものを2週間断てば」という気持ちは一切消え、いわんや、じゃあこのままずっとやってやろうなんて気持ちも起きないのだ。
 

 そうすると生まれてくるのはリセット願望というやつだ。
 「こんなつまらん、しんどい状態は嫌だと無意識に(本当に、ほぼ意識はなく、虚ろな状態なのだ)アダルトなものを欲し始める訳だな。
 そして、1時間後には、アーア、と言いながらまた同じことを繰り返す訳だ。(本当にウンザリするが)


 そして、そんなことを繰り返して今はもう30になろうとしている訳だが。


 [2020/06/03 編集後記]
 ・天気晴れ
 ・部屋の掃除
 ・テレカンでの打ち合わせ
 ⇒これで、この気持ち(満たされなさやもの足りなさ、つまらなさといった状態)はきれいに無くなったことを記しておく

手帳手記_20200529_金_my home

 しょうこりもなく、風呂の中で書いている。特に書きたいことがある訳でもないのだが。

——
 例えば、スーパーのレジに並んでいるとする。
 左の方から若いコ(この「若いコ」という言いかたはオッサンくさいと指摘されたなそういえば)が来るとする。
 彼女は髪をかき上げてちらっとこっちを見てくれたとする。
 俺はといえば、そこで彼女に目を合わせるのがはずかしくって目が合わせれられず、気付かないフリをして前を見ている。あるいは、ちらっと彼女の方を見て、視線をすぐそらせてしまう。

 そういう好機を俺はすぐに、いつも、逃す。
 そして、自宅のマンションの階段をのぼりながら、あの時、しっかり目を合わせて、声をかけてたら、なんて思ったりする。

 いくら女性がチャンスをくれていても、俺につかむ勇気や力が無ければ、本当、申し訳ないよ。
 シカモ、この勇気のなさってのは、(ハングリー感のなさってのは)つまるところ、アダルト依存の代償なんだから、グウの音も出せないくらい自業自得だね。(ちなみに今週末で2週間断ってることになる)

——
 スーパーなんかで小さな子どもの居る家族連れを見ると、自分の子どもの頃を思い出す。
 そして思う。あの頃の幸福感を、例えば俺が結婚して家庭を持った時につくり出すことができるだろうか?と。
 
 5~6歳くらいのころの我が家族の幸福感といったらなかった。(今振り返るとだが)
 そして、最近になって、その頃、幸福過ぎたから、その頃と対比して、今がより不幸せに感じるのではないかと思う。

 母のことは大好きでいつもまとわりついていたし、兄のことも大好きで、いつも一緒に何かやってた。
 そして、夜になるとFatherが帰ってきて、よりいっそう家の中が楽しくなったものだ。
 
 本当に思う。
 同じ男として、彼は、父は、Father、あの人は、一体、どうやって、いや、あの二人は、いったいどうやって、あんな不変な安定感を出して、維持していたのだろうか?と。
 (おそらくだが)今の自分よりも、二人の仕事の方がはるかにしんどく、給料もそこまで高くなかったと思うのだが、一体、どうやって?と。

 それは、あるいは、彼らが、あの二人自体が、楽しんでいた。幸せだったからに他ならないのかもしれないなと、風呂の中で一瞬思ったりしたが真偽のほどはわからない。

手帳手記_20200526_火_腰の重い男

 借りてきたDVDも、読みかけの小説も全部なくなったら、22:20にもかかわらず、ベッドの中でこうやって書くしかないのかもしれない。

——
 「そりゃ確かにアプリ使ったら早いやろうけど…」
 私がもうアプリを使って恋人を探すしかないとぐちった時に彼女はこう言った。
 しばしば、その、「けど…」の後の余白が思い出される。
 
 まだアプリには手を出していないが、その「けど…」について考えてみると、一つの結論にたどりついた。
 それはつまり、「けどそれじゃドラマがない(あるいは、ロマンスがない)よね」ということだったんじゃないかということだ。
 たしかにそれは言えている。そして、もう一度考えてみると、それは形式の話なんだなということに気が付いた。
 
 つまり、音楽を、iPhoneのストリーミングで聞くのか、ラジカセで聞くのか、CDで聞くのか、あるいは、レコードで聞くのかということと同じだと。
 
 「誰かと付き合う」ということについて、私みたいな古くさい男は、その出会いに含まれるドラマだったり、ロマンスも含めて、味わおうとしているのだ。
 それは、現在において曲をレコードで聞くかのごとく、手間で、形式ばったものなのだ。
 イマドキの一部の人にとっては、曲は、iTunesで秒単位でダウンロードし、iPhoneですぐさま聞く。
 同じように、恋人は出会い系アプリで探し、すぐにマッチングの出会いを得る。

 そう、アプリでの出会いは何というか、時代にそくしていると思う。
 その一方でナゾのこだわりを持つ一部の少数派はと言うと、音楽を聴くだけでも、こだわりを発揮してレコードで聞くのだ。それは、音楽をきくまでの過程や、一連の形式も含めて味わいたいからに他ならないだろう。
 同じように一部の人間はアプリではなく、偶然や縁にまかせた出会いを選ぶ。それはやはり、出会いに含まれるロマンスを味わいたいからに他ならないのだと思う。

手帳手記_20200526_火

 書くべきか、読むべきか、それが問題だ。

——
 専門分野の勉強をしていると、自分がいかに無知で理解力に乏しい人間かということに嫌というほど打ちのめされることになる。

——
 朝、気持ち良く二度寝なんかしている時に、ベッドの真下(心臓のところ)から、ドンという突き上げをくらう訳だが。
 そうすると、一日中、下の住人にどうやって仕返ししてやろうかと考えたりする。

 いや、正確には、本能的にイライラして、他のことが考えられなくなると言っても良い。

 これは危険な兆候だ。
 一時的な感情に身を任せて行動すると、良くない結果がついてまわると、嫌というほど過去に経験しているにもかかわらず、どうすることもできなくなるのだ。

 もちろん、一時的な抑制は可能だが、仕返しをやめるということはない。

——
 しかし、そう、一方で冷静な頭の部分が「そんなことを考えることに時間をつかって何になる、全くの無駄じゃないか。マトモなやつの考えることじゃないよ、もうこんなこと考えるくらいなら引越そうぜ」と言っているのも理解している。

 最近はその意見に従う方針だ。
 だけど今朝の仕返しは忘れるわけにはいかない。
 という具合なのだ。

——
 村上春樹の「騎士団長殺し」を読み終えた後、30歳になった今、からでも何か書こうと思った。エッセイでもルポでもなく何か小説を。
 この世の中で、どんなものであれ小説というものが存在している、あるいは人に与える効果というものは、そう、絶やしてはいけないと直感的に思ったのだ。

 そう、それが階下の住人から不意にドンと真下から突き上げをくらうような生活であっても。
 小説というのは一時的であれ、現実を忘れさせ、物語の世界に私達を導いてくれるがゆえに尊い。

 そのような小説を生み出せるようになりたいと、そう思ったのだ。