手帳手記_20200529_金_my home

 しょうこりもなく、風呂の中で書いている。特に書きたいことがある訳でもないのだが。

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 例えば、スーパーのレジに並んでいるとする。
 左の方から若いコ(この「若いコ」という言いかたはオッサンくさいと指摘されたなそういえば)が来るとする。
 彼女は髪をかき上げてちらっとこっちを見てくれたとする。
 俺はといえば、そこで彼女に目を合わせるのがはずかしくって目が合わせれられず、気付かないフリをして前を見ている。あるいは、ちらっと彼女の方を見て、視線をすぐそらせてしまう。

 そういう好機を俺はすぐに、いつも、逃す。
 そして、自宅のマンションの階段をのぼりながら、あの時、しっかり目を合わせて、声をかけてたら、なんて思ったりする。

 いくら女性がチャンスをくれていても、俺につかむ勇気や力が無ければ、本当、申し訳ないよ。
 シカモ、この勇気のなさってのは、(ハングリー感のなさってのは)つまるところ、アダルト依存の代償なんだから、グウの音も出せないくらい自業自得だね。(ちなみに今週末で2週間断ってることになる)

——
 スーパーなんかで小さな子どもの居る家族連れを見ると、自分の子どもの頃を思い出す。
 そして思う。あの頃の幸福感を、例えば俺が結婚して家庭を持った時につくり出すことができるだろうか?と。
 
 5~6歳くらいのころの我が家族の幸福感といったらなかった。(今振り返るとだが)
 そして、最近になって、その頃、幸福過ぎたから、その頃と対比して、今がより不幸せに感じるのではないかと思う。

 母のことは大好きでいつもまとわりついていたし、兄のことも大好きで、いつも一緒に何かやってた。
 そして、夜になるとFatherが帰ってきて、よりいっそう家の中が楽しくなったものだ。
 
 本当に思う。
 同じ男として、彼は、父は、Father、あの人は、一体、どうやって、いや、あの二人は、いったいどうやって、あんな不変な安定感を出して、維持していたのだろうか?と。
 (おそらくだが)今の自分よりも、二人の仕事の方がはるかにしんどく、給料もそこまで高くなかったと思うのだが、一体、どうやって?と。

 それは、あるいは、彼らが、あの二人自体が、楽しんでいた。幸せだったからに他ならないのかもしれないなと、風呂の中で一瞬思ったりしたが真偽のほどはわからない。

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