久々に書いている木曜の夜だ。
あれれ、ビジョンがあれば、なんて偉そうに誰かが言っていたけれど。
ビジョンがあって生まれるものは、焦燥という豊かさとは真逆のばけものだったようだ。
ビジョンというのは、ああ、ストレスになりえるものらしい。
どんな言葉があっても、
ひどく眠い。ひどく。
ひどく眠い。ひどく。
ひどく疲れている。ひどく。
ひどく孤独だ。ひどく。
ひどく心細いったら。
久々に書いている木曜の夜だ。
あれれ、ビジョンがあれば、なんて偉そうに誰かが言っていたけれど。
ビジョンがあって生まれるものは、焦燥という豊かさとは真逆のばけものだったようだ。
ビジョンというのは、ああ、ストレスになりえるものらしい。
どんな言葉があっても、
ひどく眠い。ひどく。
ひどく眠い。ひどく。
ひどく疲れている。ひどく。
ひどく孤独だ。ひどく。
ひどく心細いったら。
instagramなんかでネットサーフィンしてだな。おもしろくもないから、「f-paper」なんてクソブログを次に見る訳だが、意外と読める記事なんかがあったりして、こうやってまた書こうかな、なんて思ったりするんだな。何十日かぶりに。
28になろうかという年齢になって、もう、アダルトなもんも、シリアスな孤独病も、克服して余裕なんて思っていたりしていたんだけれど。
誰にでも、ひとりで物事をやりぬく時があると思うが。
そんな時、自分ってもんが、驚くほど「笑い」や「笑顔」ってのをなくしてるもんだということに気が付いた。
どこが余裕なんだよと、自分につっ込みを入れざるを得ない。
新宿は歌舞伎町改札、新宿通り沿いのドトールにて書いている冬休み一日目のの朝8:12だ。
ここへはクラークスの靴を見に来たが、10時まで何しよう?とりあえずカフェ・ラテのMを注文したが。
なつかしいメロディが流れている。
故郷の図書館の閉館時間に流れていた曲だ。タイトルはわからないが。
時間も、お金も、使い道が無ければ、持て余してしまうだけなのだということに、今日、気が付いた。完全に持て余してるぜ、この冬休みを。
~~~
自分の昔書いた手記を読んでゆたかさを味わおうってのは、なかなかおつなもんだ。たとえそれが、冷気で震えるカフェの朝だとしても。
9:21まだ10時には30分ばかしある。ライ麦畑みたいな朝だ。
おじいさんは朝から道路の掃除に余念がない。
年下のコから、「今度飲みに行きましょう」なんて、お世辞だとしても、言われると嬉しいもんだ。
乾燥しきったセルフイメージにサプライズなごほうびってなもんだよな。全く。
しかし、全く、それはそれとして
最近の力の無さ、夢見る力のなさよ。
物語を生み出す力や、こうやって書く気力すら、沸いてこないよ。
28歳では年末、一緒に過ごせる恋人がいる様にしたいもんだ。
Happyなホリデーを、スティーブジョブズの贈り物をのぞき込んで過ごす、一人身の夜なんて、ゾッとするよ、正直なところ。
そう、思うぜ。
今年はoldを感じる、そんな年だった。
oldってのは年齢のことだがね。
最近、ドトールの評価が上がっている。ドトールは、安そう→ファストフード→客層&質が悪そうと偏見を持っていたのだが。電車遅延の際に入った池袋の店が良かったので、今日は、新宿西口の店舗にも、入ってみた次第である。そういえば、最初の会社の辞表を書いたのは、東京駅近くのドトールで、東京の家探しの時に寄ったのも、ドトールで、意外と利用していたことを思い出した。彼女とのDATEで寄ったのも、ドトールだったな。
ここ最近、改めて、女性のすごさを思い知らされる。
例えば、だな、電車で、前の席の男がさ、貧乏ゆすりを始めたとするじゃない、あるいは、こちら側をじっと見てくる時、そんな時さ、俺なんかは、すぐに、反応してしまって、嫌な気持ちになる。でも、そういう時、隣に座ってる女の人とかをちらと伺うとさ。平然と脚なんか組んじゃってさ、本当に、そんな存在を感じてないみたいに、iPhoneとか見たり、あるいは、一向に気にも留めずに窓の外を見てんだね。そういうのを見てると、彼女達から学ぶ、見習うべきことは多いと思うね。
ゲロ吐きそうな雰囲気だぜ。
一言で言うなら、負の孤独だ。
孤独という毒が回っている。
心がしわしわで、張りがない。
幸せのイメージが見当たらない。
ダージリンティじゃ、役不足らしい。
新しい本でも買いに行こう。
新しい音楽でも聴きに行こう。
池袋はHOKUOというパン屋で書いている。
目の保養という言葉に当てはまりそうな美女達が通りすぎていく。sexyな街だ池袋は。
昨晩の酒の飲み過ぎで頭が痛い。
ダージリンティーじゃ、なんとも治まらん。
人をイライラさせる人間と同じくらい、Happyな出来事もある。
最近はそう思って、おりますがね。
ドラえもんがのび太を説得した様に。
雨の週末はどこかブルーな、ブルーよりも暗い、ダークな雰囲気がひそんでいる。
街へ来てみたけれど。
なんともなんとも。
やれやれ、ケータイの電波が切れているから、書いている。昨年との差分は、なんとなく、あると思っている。それは、どこか。一言で言えば昨年の今から、今日まで書いてきた、言葉達。もしくは、その言葉分の意識だな。
そして、そいつらから生まれてきた行動。それが差分だ。
人生に何を求める?毎日をどうやって、どんな気分で、生きたいと思う?どうなれば満足できると思う?今日みたいな日が続いて、30になっても、35になっても、40になっても、50になって、そして60になっても、良いか?
その人生で、満足か?
なーんて、漠然とした問いだけは、ずっと頭の中にある。
答えは、いつも、ウーン。となる。
満足か?と問われると、ウーン、不満でもないしな。となる。そんな質問リストをつくろうか。
寝る前じゃなく、帰りの電車で書いている。
寝る前に書かなくても、良いように。
最近、よく、この東京に、来た時のニオイを感じる。そう、兵庫から離れて、別の場所に来たんだなぁという感じだ。
最近は、スマホを、あんまり見ないようにしている。
すなわち、本や、新聞や、この手記なんかを代替にしている。
それは、案外悪くない。
なんていうか、疲れないからだ。
それは、自分の欲で疲れているんだが。
もう、着くな。
この辺で。
あと
一駅。
性懲りもなく書いている。
昼まっぱらから、アダルトなもんに逃げちまった日は、吐きそうなくらいブルー。
不思議なもんで、意外にも、外に出ると自分の可能性ってやつがマダ残ってることを、すれ違う美人達がおしえてくれたりするから、ありがたい。Macを一回売ったんだけど、7月のボーナスでAirを買うかと思っている。
そんで、この溜まりに溜まった手記を、家じゃなくて、喫茶店でタイプするようにしようかな。なんて思っている。Airって500gくらい?
そんな訳ないか、1kgくらいあるべ。
体重が減ると、舐められるな。どうしても。
もっとタフガイに、イカつくなりたいもんだ。ナメられない様に。
昨年と同じになっている。
昨年と同じになっている。
それでも良いか?
再び、池袋は、東武東上線近くの出口、パン屋、北陸のイートインで書いている。7戦6勝1敗。これがこのGWの成績だ。何の?ってこのブログの読者なら、言わなくてもわかんだろ。アレですよ。
昨日の原因は?ダージリンティの値段は220円。ティーバッグ1つが30円くらいだとしたら、190円のあがりだな。
ま、場所代ですな。
この店の名前、北陸じゃなくて、ホクオー(HOKUO)だった。自宅には、あまり、戻りたくないもんだ。あの空間は、うん。毒が充満している。戻った時点でGAME OVERのフラグなんだよな。かと言って、一日中、カフェに居る訳にもいかんしな。皆、一体どうやって生きてんのかね。俺だけか?
飯田橋は、B1出口。久々のタリーズコーヒーに来ている。10:00から散髪。それまでのひまかつおぶしだ。そういえばMacを下取りに出して、sonyのVA10の中古を買った。彼は、シンプルで、ややモロそうだ。(なんだ、後ろの席の、家族、娘と、母と父で、恋愛トークしてるぞ?)タリーズのcoffieは、スターバックスのそれより口に合う。なんつーか、薄いから飲み易い。日本人向けブレンドといったところか。あと、9分で、席を立とう。
書くこともないから、この店の良いところを。空いてる。一人席にはコンセントがある。店員さんがcute。
BGMがうるさくない。店内が清潔。
店内の場合、マグカップで出てくる。
駅から徒歩1分。(あと2行)出るか。
コーヒーごちそうさま。
風呂に入りながらこう考えた。恋や愛ってやつは結論を求めるととたんに味気なくなってしまう。そこには自分の欲しかなく、ゆたかさが少しもなくとても味わえたものではない。と。
そうすると、恋だの愛だのってのは一体何を目的としているのだろう?と次にこう考える訳だが。
そんな味気ない関係ならすぐに別れりゃ良いのにと思うが、そんなに短絡的な物の考え方で良いのか?と自分に自分がつっ込みを入れてだな。
彼女の良いところを思い出したりしてだな。もう少し長期的なものの考えをしてみようか(本能もそう言っていることだし)という結論に至って、また彼女とデートを重ねる訳なんだけれども。
Please Come Home For Christmas – eagles
Wunder – What I Know
昨年とは違う色のコートを着て、昨年とは違う色のマフラーを巻いて、昨年とは違う電車に乗って、昨年と同じジロジロ見にたえている今。
コートやマフラーの暖かさはヘッドフォンをつけて現実逃避する行動ではなくこうやって物を書くゆとりを与えたがね。
いかんせんゆたかさには遠い気がする。
昨今、何をするにもInternetという機械が必要だ。
土日、テニスをやれる場所を探すのも、友人に連絡をとるのも、ライターのバイトを探すのも。
するとどうだ、このくだらない鉄の塊に依存している生活ができあがって抜け出せなくなっているじゃないか。(古い自分の「お前の本当に望んでいる状態はそれか?」という声も聴こえないほどに)
するとどうだ、一体、何も考えることを放棄するだけいの生活になるじゃないか。
それの一体、何がいけないのか?
そんなことイチイチ考えてたら負けだ。
そんな勢いで。
俺が今、こうやって書いてんのは、だな。その鉄の塊よりもこうやって書く方が、満たされると直感がそう言っているからに他ならない。他人の言葉はどうでもいい。
あんたもそうだろ?
他人の言葉なんかに耳をかすな。
だれかへの嫌悪やhateな感情ってのはあまり持ちたくないもんだ。人の世ってのはアレだ、自分が考えているよりも、もっと見えない善意の連鎖があってだな。そう、知らないうちに、自分も、その恩恵を受け取ってる訳だな。そう、気が付いていないだけで。
そう、だから、その恩恵に泥を塗る様な真似ってのは、よくないんだな。
Def Techも、「一人の人を大切にしよう」って歌ってる通りに。
ただ、そんな聖者みたいな徳の高い真似は
なかなかできんがね。
ゆたかさのゆの字すら頭にないよ。
最近眠りが浅いせいだろう。
頭を整理するために朝、タリーズにて書いている。今朝知ったのだが、交感神経と副交感神経というのがあって、どうやら、体温によってそのどちらかが活発になるかというのが変わるそうだ。38℃のお湯につかっている時は、副の方が活発になってリラックスできるらしい。
それ以下になると交感の方が活発になって、目が覚めるらしい。
昨年と違うアクションをと思い、3000字/600円のライターのバイトに申込んでみたけど。
採用判定の記事すら書くのがきついな。
一番の違いはやはり文字数のしばりだな。長文になってくると、予め書くことを考える必要があって、こうやって勝手気ままに筆を進めるという訳にもいかんのだな。
すなわち構成なんてのを、そう、考えたりして書き始めている訳だな。
大昔、読んだ本に、ヘンリーフォードの「おもしろくないことをなぜやるんだ?」って発言があると読んだが。今は本当にそう思う。そう、つまり、お金を稼ぐ手段は山ほどあるなら、自分が能動的にやれる仕事が一番だ。その方が工夫や豊かさが生まれるし、その熱量で周囲の人も豊かになるってもんだ。
昨年との違いをつくるのは朝食べる納豆や、ご飯(お米)や、卵や、みそ汁や、ヤクルトに他ならない。
それが全てのみなもと(源)だからだ。
そしてそう、その違いをつくる機会は1日に1回しかないのだ。
理由ってのがわかれば、不思議と気持ちも軽くなるもんだ。
そして視野が広い方が心持ち、リラックスして歩くことができる様だ。
余裕があるけど豊かさを感じられないってのは、もったいないもんだ。
豊かさってのは、そう、気が付かないと味わうことは難しい。
そう、平日の火曜と水曜の夜にアダルトなもんに逃げるってのは日曜にライブがあってその反動なんだなと気が付くことができれば、自分へのexcuseも立つし、その先の歩き方も変わってくるってもんだ。