「行為の本心」

土日とかにさ、 ちょっとした気の迷いで、 アダルトなものを
見てしまうけど、 その心について考えたことがある。
つまりね、 ここに、よく、彼女が居たら良いみたいなことを書いてるけど
心の本心ではそう思ってないんじゃないかってこと。
つまりね、 心の奥底ではその誰かと付き合うっていう状況になること、 その変化
をわずらわしいものとして避けてんだな。 それで、その変化が起こることを既の
所で回避する様に、携帯でアダルティなもの見ちゃうんだな。
何が言いたいかっていうとね、 つまりそういう アダルトなもの 見る行為は
変化を起こらせない様にしてる 逃げというか、 現状維持というか、
保守的な心の為せる業というか そんなかんじなんだな。
って、 別にそれがネガティブなことって言ってんじゃなくて、 そういう心の
働きがあることに気付いたから書いたまでで。
そう、 自らをそんなにきつい道に押しやるつもりは無いから、 変化へ
変化へとは言わないよ。
しかし、 アダルトな、 そこに逃げちまうのは なんとも、 おもしろくないね。
発展性が無いもの。 だーから、 なんてのかな。 心が休める様な、
何の役にも立たないけど 何の損にもなってないっていう行為みたいなもの。
睡眠か、 部屋で映画を見るか、 お酒飲むか、 何があるかね
―8/13(水)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください