手帳手記_20200526_火

 書くべきか、読むべきか、それが問題だ。

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 専門分野の勉強をしていると、自分がいかに無知で理解力に乏しい人間かということに嫌というほど打ちのめされることになる。

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 朝、気持ち良く二度寝なんかしている時に、ベッドの真下(心臓のところ)から、ドンという突き上げをくらう訳だが。
 そうすると、一日中、下の住人にどうやって仕返ししてやろうかと考えたりする。

 いや、正確には、本能的にイライラして、他のことが考えられなくなると言っても良い。

 これは危険な兆候だ。
 一時的な感情に身を任せて行動すると、良くない結果がついてまわると、嫌というほど過去に経験しているにもかかわらず、どうすることもできなくなるのだ。

 もちろん、一時的な抑制は可能だが、仕返しをやめるということはない。

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 しかし、そう、一方で冷静な頭の部分が「そんなことを考えることに時間をつかって何になる、全くの無駄じゃないか。マトモなやつの考えることじゃないよ、もうこんなこと考えるくらいなら引越そうぜ」と言っているのも理解している。

 最近はその意見に従う方針だ。
 だけど今朝の仕返しは忘れるわけにはいかない。
 という具合なのだ。

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 村上春樹の「騎士団長殺し」を読み終えた後、30歳になった今、からでも何か書こうと思った。エッセイでもルポでもなく何か小説を。
 この世の中で、どんなものであれ小説というものが存在している、あるいは人に与える効果というものは、そう、絶やしてはいけないと直感的に思ったのだ。

 そう、それが階下の住人から不意にドンと真下から突き上げをくらうような生活であっても。
 小説というのは一時的であれ、現実を忘れさせ、物語の世界に私達を導いてくれるがゆえに尊い。

 そのような小説を生み出せるようになりたいと、そう思ったのだ。

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