とりとめのない話2017_3

いよいよ一人になった。自分ってもんを認識するのも億劫になって。
さっさと片を付けたいもんだ。この日常に。なんちゃって。
その男は地下へ進む階段を一歩ずつ降りて行った。スチールの階段はミシミシときしみ、外はひどい雨で、この店に入る時にはひどくふられていたが、店のじゅうたんによって、靴の水分は。

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車で旅へ出よう、どこまでも

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ひとりってのは大変なもんだ。しかし、だな、27という歳になってくると、

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人生について、前を向いていれば、何が何かが起こってもキャッチできるのかもしれない。
ただ、やっかいなもんで、孤独ってのは、誰かが、解消してくれるもんじゃなくて、そう、いつも、どんな時でも、自分で、好転させていく必要があるものだ。

いつか、いつか、人生も後半にさしかかった時、そう、昔は、ひとりの時、ノートにただひたすらに言葉を吐き出していたものだと。
そう、言える様になりたいもんだ。

心に力が入らない時、たしかに、昔も同じ状態の時があって、そこから抜け出した時もそう、あったはずなんだけれども。
そんな時に限って、どうやって抜け出したのか、どうやって視点が切り換わったのか、そんなメモは残っていない。惜しいことをしたもんだとつねづね思う。

人生に何を求める?
人生に、何を学び、何をやってみたい?
コンフォートな場所で、生活したい。
コンフォートに、働きたい。ただ、それだけを望む。例えば、隣人とのいざこざを感じずに、広く、リラックスした空間で暮らして、毎日、無理せず、自分の興味のある、ワクワクすることで生計を立てることができたら、たとえ、ひとりでも、私は満足して生きられると思う。
一方今は、ストレスフルな環境に、生活して、無理のある、やりがいの感じられない仕事をして、毎日を消費している。

このままだと、そう、ひどくつまらん男になって、ひどくつまらん男になりはてておしまいだろう。
物語を変えるためにはどうしてみようと思ってる?

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