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2024/12/14(土)

 17:27代々木はEXCELSIOR CAFEにて書いている土曜の夜だ。
 我がカフェ放浪記もここまで来たかと思われるくらい、カップルが多く、華やかなカフェだがね。(完全な場違いなのだがあと10分ほど時間をつぶさなくてはならない)
 よく想像してほしい。原宿の隣の駅の、若い世代が8~9割がたの、カップルばかりのカフェで手帳に手書きで書いている34歳の男の姿を。

 カフェで書くのはずいぶん久しぶりな気がする。
 東京に出たての頃、西新宿のカフェで、夜行バスまでの時間をつぶしながら書いていたことを思い出す。あれから10年ほどが経っておりますが。
 10年は長い。24の男が34になる時間だ。34の男はというと。ま、24に比べると、多少は楽になったのかもしれんな(少なくとも夜行バスに乗る必要はなくなった)
 24-34を鑑みると、だいぶ変わった。自分もそうだし、周りもそうだ。
 良い変化もあれば。ああと7分の中で、この変化について一言でまとめるとするに、明らかになったな、つまり経験だ。
 アダルト断ちができず、失われた自信と失われた自信で形成された性格てなかんじだな。
 なかなか難しいもんだ。
 34-44について、
 ある指針というか、目標?がないと、24-34と、同じになるな。明らかなのはそれだ。

手帳手記_20171230_土

 帰省している。
 大阪は梅田、モーニングをやっているカフェにて書いている。モーニングセットの値段は530-から・・・って、そんな話じゃなくて、この店はすごい。
 なにがすごいかって、そう、カフェじゃなくて、喫茶店なんだ。ここは。
 つまり、だな。店に入るとまず、ウェイトレスさんが居て席まで案内してくれて、注文を取りに来てくれるんだな。

手帳手記_20171210_木

 職場のカフェで書いている。1杯\150-のコーヒーを飲みながら。
 何のために生きてるのか、誰のために生きてるのか?高校生の時からの思いだが。
 最近はその答えが必要なんじゃないかと思っている。ニーチェかゲーテは、”彼らは人生の2/3を飲食やその他必要なことに費やして、残りの1/3をどうすごすべきか知らないのです”と言っていたそうだ。
 何のために生きてるのか?What forではなく、何の楽しみを持っているのか、何の生き甲斐があるのか?
 誰のために生きてるのか?誰と暮らしたいのか?
 いずれにせよ―。勉強はした方が良いし。満足感を高める生活を送った方が良い。
 昔からの悪いクセだね。
 いつも結論を出したがる。

手帳手記_20161208_木

 問題集を前にして書いている。
 性懲りもなく。ね。小学校の先生になる。って目標がある。ってトラック運転手の人が言っている。とラジオが言ってた。通信制の大学で取るんだと。びっくりしたね。流行ってんの?小学校の先生は。さ。と思ったね。なぜなら俺も全く同じ計画を持っていたから。もうちょっと良く考えた方が良いのかも。つまり、その、動機とかなんやらをさ。ちなみに、職場に入っているカフェで飲むコーヒーは、1杯\150-だ。安いね。
 お金持ちになりたくないが。
 こういうことで困らないくらいのお金は持っときたいよね。
 この文章が\150-になれば良いんだが。

奈良@20181228_金

 久しぶりのカフェは品川、サンマルクの品川インターシティ店で書いている。
帰省までの間に何本か書こうかと思っているが、はたして上手く行くかどうか(そんな豊かさが保てるかどうか)。

 本日は、実家に直帰せずに、京都で(新幹線を)降りて、奈良を観光するつもりだ。
12時発の電車までにはいささか時間がある。混んだ構内にいなくて正解だったかな。

 今日は奈良に宿をとっている。
なんと、\8,000-だ。素泊まりで。

 昔も書いたが、こういうモノを書く行為ってのには、空白が必要なんだ。つまり、物語や豊かさが入り込む余地が。
―2018/12/28(金)

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手帳手記_20180924_月_依存症についての考察 その①

 くもり空の日、なんてのはどうにも気分も晴れんもんだ。とりあえず家を出て神保町のカフェで書いてはいるが。

 ここ一年、いや、十数年と悩まされている悪癖がある。すなわちアダルトなもんへの依存だ。

 このサイトを訪れて、私の駄文なんかを読んでいる人からすれば、「またいつものか・・・」と思うかもしれない。
 まあ、今回の取り組みもいつまで続くかはわからない。ただし、今回はある本から、まあある本を読んだことで、あるいくつかの知見が得られたので、非常に面倒くさいが、ある種のくさび的な意味でこうやって、三連休の最終日に、部屋でひとり書いている訳である。

 さて、まず最初に、私が読んだのは、「磯村 毅 著/リセット禁煙」という本だ。今回の話はここに書いてあったことをベースに、読後自分なりに考えたことだということを記載しておく(科学的根拠のある話でないことを明記しておく)。

 この本には、そう、「なぜ依存するのか?」ということと、「依存してしまうとどうなるのか?」という2つについて記載がある。
 この本を読む前の自分の依存症対策の方法はというと、身の回りからアダルトなものを一切排除し、カレンダーに継続を示すチェックを入れ、そう、ひたすらに我慢を続けるという方法だった。
 まだ一週間しか経っていないので、いささか誇大広告な気もするが、そんな我慢を続ける方法を見直すことができ、アダルトに依存することを自然と「もうやめよう」と思えたのはまあ事実なので、今回この手記を書こうと思ったわけだ。

 
結論から言うと、今現在取り組んでいる対策は、この本を読む前からやっていたものと同じだ。違いがあるとすれば、読む前よりも、もう少し細部について意識し、より徹底するようになったことくらいか。
 具体的に言うと、アダルトなものへの依存として取り組んでいることは以下だ。
 ・①ネットへアクセスできるものを部屋に持ち込まない(帰宅時に郵便ポストにiPhoneをしまう、wifiルータを郵便ポストにしまう)
 ・②PCやiPhoneにフィルタリングソフト(i-filter)を導入する
 ・③週末に運動する習慣を取り入れる
 ・④ストレスをため込まないようにする(限界まで自分を働かせない)

 まあ、この取り組みで万全だとは思っていない。フィルタリングソフトなんて本気になればどうにでも解除できるからだ。
 しかしまあ、前述の通り、この本を読んで 今は 「もうやめよう」と思っているので、少しは継続できるかもしれないなと思っている。

 さて、それでは、この本の内容と、その自分なりの意訳を書いてみる。
 まあ、そもそもこの本はタイトルの通り禁煙、つまり、タバコへの依存について書いている本だ(言わなくてもわかるよな)。そして、これも言わなくても良いかもしれないが、まあ、依存なんてものは、タバコだろうが、お酒だろうが、お菓子だろうが、はたまたアダルトなものだろうが、同じもんだろうと思って、この本を読んだわけである。

 「なぜ依存するのか?」この問いに対する答えのキーワードは、一言で言えば「ストレス」だ。
 ストレスは日常のどこにでも転がっている。学校での生活のストレス、職場でのストレス、隣人関係のストレス。山ほどある。
 そして、タバコや、お酒や、お菓子や、アダルトなもんってのは、そのストレスを解消してくれる訳である。(ストレスを解消しないのであれば誰が依存症なんかになる?)
 日常でストレスが溜まる → タバコ・お酒・お菓子・アダルトなものでそのストレスを解消するってなサイクルな訳である。
 それでは、このタバコやら、アダルトなもんに依存している状態を解消するにはどうすればよいのだろうか?
 答えは簡単で、日常で溜まるストレスを、「タバコやら、アダルトなもん」に依存せずに解消すればよいのである。
 
 物事はそんなに簡単ではない。なぜなら、依存しているからだ。依存という状態は言い換えれば、次の様な状態なんだ。

(最初)
 日常でストレスが溜まる → ストレス解消のためのキャッシング(借り入れ)をする(タバコ/お酒/お菓子/アダルトなものでそのストレスを解消する)

 
(依存している状態)
 日常でストレスが溜まる + キャッシングした分のストレスが溜まる(タバコ/お酒/お菓子/アダルトなもんが欲しくなる)
   →ストレス解消のためのキャッシングをする(タバコ/お酒/お菓子/アダルトなものでそのストレスを解消する)

 お分かりだろうか?最初にキャッシング(タバコ/お酒/お菓子/アダルトなものでそのストレスを解消する)してしまうと、今度はその負債のストレスも日常で発生するストレスに加算されてしまうのだ。
 こうなってしまっては、自力でそのストレスを解消するが難しくなってくる。そうすると、自然にキャッシングが増えてくる。依存するサイクルから抜け出すのが難しくなってくる。
 そういう話なんだな。
 そうすると、もうその人の人生は、キャッシングありきの人生になってしまう。そんな状態が依存している状態なんだ。
 (ここまで読んで、自分はもうやめようと思った)

 けれども、話はそう簡単じゃない。決心や意識だけでは変化は望めない。それはまあ自分たちが人間だからなんだが。
 「依存してしまうとどうなるのか?」についてもこの本には記載がある。
 キーワードは「無意識」と「回路」なんだが。
 依存してしまう状態になると、脳の中にある種の回路ができあがってしまうらしい。つまり条件反射の回路みたいなものが。
 例えば、目の前にタバコがあるとする。そして近くには同僚が美味そうにタバコを吸っている。いい匂いがぷんと漂ってきた。そうすると、その回路によって、自然とタバコに手が伸び、無意識に火をつけているような状態になる。先ほどの負債の話なんかを知っていたとしても、「とりあえず、この一本を吸ってから考えよう」ということになり、気が付くと一本吸い終わっている。そんな回路だ。
 そんな歯止めの効かないジェットコースターみたいなもんが脳の中にできているのだそうだ。
 これはアダルトなもんで言うと、酒に酔ってyoutubeなんて見ていたら、気が付けばエッチなキーワードで画像検索なんかしていて・・・。なんてことになる。これが「依存してしまうとどうなるのか?」という話の大枠だ。

 以上が、今回書きたかった内容の全容だが、ここまでの内容を踏まえて、じゃあどうやって対応するのか?という話を最後にする。
 結論としては、以下のようにするしかない。

(依存している状態:今の自分)
 日常でストレスが溜まる + キャッシングした分のストレスが溜まる(アダルトなもんが欲しくなる)
   →ストレス解消のためのキャッシングをする(アダルトなものでそのストレスを解消する) 

(対応方法:今やってること)
 日常でストレスが溜まる + キャッシングした分のストレスが溜まる(アダルトなもんが欲しくなる)
   →そもそもストレスをためないような生活習慣にする(日常で溜まるストレスの比率を下げる):湯船にゆっくりつかる、運動の習慣を取り入れるなど
    + キャッシングした分のストレスは一過性(本に書いてあった)なので、身近にキャッシングできるものを置かないようにしてやり過ごす

 なぜこんなにもアダルトなもんへの依存を排除したいのか?というと(依存してても良いじゃないなんて声のために)、
 それは単純に生理的なものだな、まあ罪悪感というやつだ。なのでまあ、そうこれはあくまで個人的な取り組みなんだな。
 どこまで続くかはわからんが、経過はアップするつもりだ。
 ―2018/09/24(月)

手帳手記_20180525_金

 女性の飲み友達?と会うために金曜は21:45に田町のカフェにて書いている。
 21時以降のカフェは不思議な雰囲気だ。つまり、みんなシラフでひたすらおしゃべりしている。健康的なのか、不健康なのか微妙なところだ。
 28歳になると、本当にもう、自分の人生ってやつが、うっすらと見えてくる。この現実感を伴った

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 彼女はなかなか現れない。
 するとこうやって暇つぶしに物を書くくらいしかやることがない。
 想像するとワクワクする様な未来のイメージ。そんなのがないとどうにも人生は楽しくない。そういうイメージがあるかどうかってのは、なかなか、大事なものだ。
 28歳という年齢は不思議なものだ。
 他人に対するこだわりみたいなのが、無くなってくるんだな。つまり、カップルや、サラリーマンなんかがたむろするカフェで平然とこうやって書けるって訳だ。
 彼女はいっこうにやってこない。
 そう、やってこないぞ。

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 ああ、なんとも、偏見なしに自分を見てくれる女性が1人でも居るってのは本当にありがたいことだ。(神様、ありがとうございます)会社の先輩、飲み友達の彼女、帰りの山手線で前に立った女の人、今日は充分過ぎるほど、彼女たちの自分に対する好意ってやつを、いただいたな。
 そういう無償の好意ってやつをもらうと、一週間前の自分の愚行なんかを思い出して、やっぱりアレはまずかったなと思う訳だが。

手帳手記_20180513_日_2

 早くも席が埋まってきたカフェで引き続き書いている。
「やりたいけどできていないこと」を解決するアイデアを思い浮かべるために、このカフェに来た訳だが。
 たとえば、「自分のオフィスで仕事する」だとか、「ベランダの目隠しをDIYする」だとか、「母の日ギフトを贈る」だとか、そんなやりたいけどできていないことはどうやったら実現できるのかって、アイデアだがね。
 腹が痛くなってきた、帰ろう。

手帳手記_20180504_金

5月は4日、GWの2日目?は、神保町はドトールの、神保町駅前店にて書いている。
この店は店から道路が見渡せるから、ボーっと通りを眺めるにはもってこいの店だ。特に晴れた日には。
通りを歩く人のなんて健康そうなことだろう。通りを歩く人達をボーっと眺めている。
眺めていて特におもしろいのはやはり男女のカップルだろう。
不思議なことに、ここから見るカップルはどのペアも楽しそうに見える。
それは、どのカップルも同じ方向を向いているからかもしれないな。

手帳手記_20180422_日

 スーツのうけとりにまた、新宿南口店のドトールで書いている。
 喫茶店で書くたびに思うことは、なんで自宅ではおどろくほど頭が回らなくなるのだろう?ということだ。
 つまり、こうやってカフェに居る時は、もっと人生の味わいを深くするために1週間のレシートを集計してちゃんと1週間の予算を立てようだとか、未来を変えるためのアクションプランをちゃんと練ろうだとか思っているんだけれども。
 いざ自宅に帰ると、全くの別人になったかのごとく、そもそもそんなことを考えていたことすら、忘れてしまうんだな。

手帳手記_20180420_金

 新宿は南口店ドトールで書いている朝10:40だ。
 久々に書いているこのカフェ放浪記だが。
 それは11:00開店のスーツ屋に寄るためなんだなこれが。
 そう、GW前に有給を取っているのだ。

手帳手記_20180304_日

 久々に書いている。カフェは池袋、EPRONTOのとしまエコミューゼ店だ。

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 アダルトなもんから抜け出す方法はと言えば、PDCAの本でやる気を取り戻し、今は、卓上カレンダー方式を取り入れた。
 すなわち、職場のデスクの上に置いた卓上カレンダーに、毎週の「WIN」か「LOSE」かの記録をつけるだけのゲームだ。
 この「WIN」をつけるだけのことがなかなか難しいと体感している今だがね。

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 やや息苦しい店内で、パン屑が見える机の上で引き続き書いている。10時までの暇つぶしだ。

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 知っているつもりになっていても、気付いていないことってのはあるもんだ、例えば、池袋から歩いて雑司ヶ谷に行けることとか。

手帳手記_20180217_土

 「うらからたくあん2本、取ってきて」「わかりました」なんて会話が聞けるのは、東武練馬駅徒歩5分、喫茶ボタンだ。
喫茶店ってのは良いもんだ、チェーンのカフェには無いものがある。
それは一言で言うとくつろぎや、おちつきだ。
こんな店には暑い夏に来たいもんだ。
前にも書いたが、人ってやつは自分の置かれている状態に説明が付けば、納得できるものらしい。そして、納得ってのは、安心感につながる様だ。
そう、自分の症状を医者に見せるかのごとく。

 ここ最近がんじがらめになっていた自分を紐解いてくれたのは、そう、PDCAの本だったりする。長文になるから詳しくは書かんが、自分の現状がビシッと言い当てられていたのでなるホドなと思った。

 人間として生活しているからには人とかかわって生きるのは宿命なんだが、そうした場合に、貴重なのは、周囲の人から与えられる自分のイメージだ。(昔にも書いているが。)
周囲の人が自分に与えてくれるポジティブなイメージほどひとりの人間を救うものはない。

手帳手記_20180114_日

ドトールは新宿南口店で書いている日曜の朝9:41だ。
いやはや完全に豊かさを味わえずにいる。それは冬の寒さと、トライしようとしている教員免許の焦りのせいだ。
ウェザーリポートなんか聴きながら、ゆっくりしよう。大丈夫。

手帳手記_20180106_土

東武東上線は下板橋駅、徒歩数分のカフェ「cafe de CONDE」で書いている三連休初日の朝9:23だ。
ここはカフェ、じゃなく、喫茶店で、コーヒーが一杯450円(チェーン店の2倍な)、そして、ありがたいことに暖房がしっかり効いているおじいちゃん、おばあちゃんのたまり場だ。
そんな店に居ると、どんな寒い日の心の氷も融けそうな気がするよ。
そんな場違いな店で何してるのかって言うと、10時開店のUNIQLOを待ってんだな。あと30分くらい。

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他人の評価や、所属する組織に依存するようになっちゃオシマイだわ。それすなわち、マズローの承認と所属の欲求をアテにして生きる様になっちゃ、オシマイだ。
今のオレの状態がそれなんだけれども。
ひどいもんだ。かなりひどい。
とびきりのかわい子ちゃんが笑いかけてくれたって、心に届かないんだから、いよいよ末期だよ。

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思うに、原因は自信の無さだな。
そう思う。すなわち、仕事に対する自信だな。それがあれば。他人や会社なんか、無視して、かわい子ちゃんの瞳だけを見て暮らして行けるハズなんだ。

こんな状態が長く続くと、心がつぶれてしまって、現実逃避に逃げるのは時間の問題だ。
そうなる前に、スイッチを押さないと。
断捨離するよりも、一個のスマホを捨てた方が、よっぽど効果がありそうだぜ。

豊かさを味わうのはコツが居る。
つまりセンスがね。
この店にはそれがある。Goodだな。

手帳手記_20171229_金

 新宿は歌舞伎町改札、新宿通り沿いのドトールにて書いている冬休み一日目のの朝8:12だ。
 ここへはクラークスの靴を見に来たが、10時まで何しよう?とりあえずカフェ・ラテのMを注文したが。
 なつかしいメロディが流れている。
故郷の図書館の閉館時間に流れていた曲だ。タイトルはわからないが。
 時間も、お金も、使い道が無ければ、持て余してしまうだけなのだということに、今日、気が付いた。完全に持て余してるぜ、この冬休みを。

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自分の昔書いた手記を読んでゆたかさを味わおうってのは、なかなかおつなもんだ。たとえそれが、冷気で震えるカフェの朝だとしても。
9:21まだ10時には30分ばかしある。ライ麦畑みたいな朝だ。
おじいさんは朝から道路の掃除に余念がない。

手帳手記_20161212_月

最近、ドトールの評価が上がっている。ドトールは、安そう→ファストフード→客層&質が悪そうと偏見を持っていたのだが。電車遅延の際に入った池袋の店が良かったので、今日は、新宿西口の店舗にも、入ってみた次第である。そういえば、最初の会社の辞表を書いたのは、東京駅近くのドトールで、東京の家探しの時に寄ったのも、ドトールで、意外と利用していたことを思い出した。彼女とのDATEで寄ったのも、ドトールだったな。
ここ最近、改めて、女性のすごさを思い知らされる。
例えば、だな、電車で、前の席の男がさ、貧乏ゆすりを始めたとするじゃない、あるいは、こちら側をじっと見てくる時、そんな時さ、俺なんかは、すぐに、反応してしまって、嫌な気持ちになる。でも、そういう時、隣に座ってる女の人とかをちらと伺うとさ。平然と脚なんか組んじゃってさ、本当に、そんな存在を感じてないみたいに、iPhoneとか見たり、あるいは、一向に気にも留めずに窓の外を見てんだね。そういうのを見てると、彼女達から学ぶ、見習うべきことは多いと思うね。

手帳手記_20160506_金

再び、池袋は、東武東上線近くの出口、パン屋、北陸のイートインで書いている。7戦6勝1敗。これがこのGWの成績だ。何の?ってこのブログの読者なら、言わなくてもわかんだろ。アレですよ。
昨日の原因は?ダージリンティの値段は220円。ティーバッグ1つが30円くらいだとしたら、190円のあがりだな。
ま、場所代ですな。
この店の名前、北陸じゃなくて、ホクオー(HOKUO)だった。自宅には、あまり、戻りたくないもんだ。あの空間は、うん。毒が充満している。戻った時点でGAME OVERのフラグなんだよな。かと言って、一日中、カフェに居る訳にもいかんしな。皆、一体どうやって生きてんのかね。俺だけか?

手帳手記_20170603_土_通り沿い

ドトールは靖国通り店?で11:00の自転車の旅の途中で、通りを行きかう健康という幸福を持ち合わせた(つまり暑さに顔をしかめた、もしくは白い肌を露出した)人達をぼんやり眺めながらかいている。
休日に一緒に、出掛けられる友人や、恋人や、家族が居るってことは、とても貴重なことだ、例えそれが目的のない散歩だとしても。
いつか、そんな豊かな時間を、味わえる様になりたいもんだ。
ホームレスのおっちゃんは歩道に倒れている自転車を起こして歩きさった。子どもに目をそむけられるのも一興かな。まあ、土日に、お金の心配もせずに、一杯のカフェオレを頼めるのも、十分に豊かなことだな。