GW1日目は神保町の偶然見つけたタリーズで、窓際の席でカフェラテ(ラテアートの猫ちゃん付き)を飲みながら、carifoniacationのジャズアレンジを聞きながら、10時はまだかと思いつつ、痛くなりだした腹と隣に座るおっちゃんの貧乏ゆすりと、タイピングの音に気を遣いつつ、窓の外のテラス席に当たり前の様に座る外国人っぽい二人を見て、「やっぱり外国の人は大柄だなぁ」とか頭の片隅で思いつつ、いよいよ激しくなりだしたタイピングの音を聞きながら、あと7分もあるよ、とiPhoneを確認して最近まともに食べてなくて疲れが抜けない体を労りつつ、書いている。そろそろ行こうか。
「手帳手記」カテゴリーアーカイブ
手帳手記_20170407_金
23時の東京は東武東上線の成増方面行きの電車の中で書いている。スティーブジョブズは世界を確かに変えはしたが、それは愛を減らし、孤独を増やし、悪を増やしたと言わざるをえない。クソみたいな世界に変えてくれたな、スティーブ。どうやって責任をとるつもりだ?
おもしろくない世界の住人をしておもしろくない気持ちをここに書きだすために書いている。
おもしろくないのは、俺のセイじゃねーか?
手帳手記_20170406_木_vision
23:26発の電車の中で久しぶりに書いている。このごろ、最近、毎日、『お前は一体、何をしているんだ?』と自分に聞かれている。27歳になろうという年に。だ。
このままじゃ、28も、29も、30も、40も、50も、おんなじだぞ?と。そういう意味を含んでいる。
そして、その問いの答えは、考えただけで途方に暮れてしまい。答えられないまま、ただ毎日を消費している今日この頃だ。
私の願いはいつも一つだ。
「わくわくすることをしたい」
「わくわくする仕事をしたい」
ただそれだけは、はっきりと答えることができる。
「わくわくすることをしている」
「わくわくする仕事をしている」
ここに向かってみようか。
手帳手記_20170322_水
昼休みに、書いている。
それはなぜか。
それは、文字の力を私がまだ
信じているからだ。
もっと言えば、文章を読む時の豊かさを信じているからだ。
そう、こうやって書いた文章からスマホをいじる時よりも、豊かな時間が発生するのでは
手帳手記_201702xx_銀
もうすぐ30って年齢になってくると
そろそろ自分の人生ってやつが見え始めてくる。
満員電車に詰め込まれて帰る貧乏臭い人生が、そろそろ鼻についてくる。
それを受け入れるのか受け入れないかってのがこの先の人生を決めるポイントで。さ。
嫌なら変えれば良い。
それだけの話。
ただ、人は環境に似ると言う。
おもしろい場所へ進みたければ
おもしろそうな人達の集まっている場所へ向かうんだ。
そうでないと、
手帳手記_20170904_月_現実について
言葉と行動にはなるほどかなりの違いがある様だ。と、今まで書いてきて思う訳だが。すなわち、どんなにこの手帳に文字をしたためたところで、現実ってものには何の影響も発生せん訳だな。現実ってもんに影響、作用を与えるのは、あくまで行動でありまして。ただ、行動ってもんに影響を与えるもんの一つが文章であるとすれば、バタフライ効果的な作用はあるのかもしれんが。
さあ、いよいよ、現実ってもんを書きあらわしてみようじゃないか、つまり、日常って枠の中の、それぞれの小部屋の集まりが1日って単位の現実でありまして、その繰り返し、27年間の積み重ねを現実と、そう呼ぶわけでありますな。
そうすると現実ってのは言い換えれば、「20:25分の月曜に乗る乗車率100%の、見知らぬオッサンと左肩がぶつかってるけど知らん顔でこの手記を書く今」とか、「仕事をしてもいっこうにやりがいや満足感が生まれずに、将来に対して特にわくわくもしない土日の過ごし方」とか、「見知らぬオッサン、おばさん、お姉さん、お兄さんにクソほど顔をジロジロ見られてイライラする毎日」とか、そういう部分的なものとしてとらえることができる訳で。
そうすると、これらの個々の”現実”を変えるために何ができるのか?って話になる訳で。
手帳手記_20170904_月
27といえばもう良いおとなだ。
そんな実感が。
血眼になって仕事をして、
さあ帰ろうと乗る帰りの電車が満員で、やたらとおっさん達に顔をジロジロ見られたりなんかすると、だな、帰り道で思っていた豊かなことなんてのは一瞬にして消え去って残るのは3年前と同じイライラだけ。
そうすると、今日、今まで3年間も一体何をやってたの?とお決まりの思考パターンに入ってだな、結局答えなんて出せる訳もなく同じことを繰り返す訳だな。
27といえばもう良いおとなだ。
そう感じる今の自分の精神年齢は23くらいだ。要は23くらいから、俺の成長は止まってんだなこれが。
このままでは確実に今と同じ生活をしている30歳になるな。
手帳手記_20170904_月_豊かさについて
なんてこった、寝る前に書いている。
こんな夜は、宇宙について話そうか。
当たり前の安定なんてものは、なくて。
それは自分が用意するものらしい。
23時の夜行バスを待つカフェテリア。そんな夜が頭に浮かぶ。
両親が病気になったりなんかすると、不安ってのは大きくなるもんだ。
ママっ子なら、なおさら。豊かさってのは、自分でつくり出せるものだ。
豊かに生きたいもんだ。
豊かに生きたいもんだ。
無理のない生き方で、
無理のない生活を、
しよう。
手帳手記_20170901_金_マクラとロマンチストについて
昔、福山雅治のラジオで、30も半ばをすぎ、そろそろ独り身から抜け出そうとした男の人が、家賃16万の家に引っ越したという投稿を取り上げていたことがある。
それを読んだ福山雅治はもっと他にやり方あるよね?と爆笑していたけれど。これはその話に似ている。
すなわち、自分は今、女性関係の未来を明るくするために、かなり年季の入った枕を新しくしようとしている。
手帳手記_20170901_金
空腹だが書いている。
モノゴトってのは、一度乗り越えると、次回には少しばかり余裕を持って対応することができる。
そんなことを考えながら、長い一日を乗り切りましたけれども。
豊かな生活とは?ゆたかさとは、すなわち、味わうべき余裕があるということに、ええ、他ならんな。
余裕がありさえすれば、それこそ霞でも食べて生きてけるかもしれないな。
手帳手記_20170830_水
つじつま、という観点から物事を見ると、なるほど、自分に関してはなかなか客観的になれるものだ。
手帳手記_20170830_水
自分の行動哲学として、「何もしなければ同じ結果になる」というのがあるが、いささか、そのひとことに尽きるものではない、ということに気が付いた。
すなわち、一度経験したことと、初めて経験するときの、心のあり方。
これは例外だということに気が付いた。たとえば、一度経験したつらいことやしんどいことは、二回目からはさほどしんどくなくなったり、イライラする体験が一度あれば、二度目はさほどイライラしなくなるとかいったことである。
手帳手記_20170830_水
人間関係とはつくるものだということに、27になって気がついた。
手帳手記_20170828_月
ことばにすると、どんな壮大なイメージも限定されて、味気なくなるもんだ。しかし、記憶に留めるために書くことにする。
週末アダルトなものに依存するサイクルから抜け出す方法は、私の場合はお酒を抜くことだった。
27にもなると、やはりそれなりのセルフイメージがあるので、シラフの状態であれば、そこまでバカな真似はしないということだな。
ただ、その状態で週末を超えてみると、やっぱり女性と付き合いたいなんて気に、やっぱりなってきた。
そうすると、いくつか変える必要があるべきだと思うところが出てくる。
例えば枕。例えば下着。例えば私服、スーツの刷新。例えばシーツ。例えば週末の車。自分の生活の人に見られても大丈夫か?なところ。
人と一緒に過ごして、楽しいか?なところが目についてくるんだな。
この女性と付き合いたいって話を一つのプロジェクトとして、(昔は、誰か女性と付き合うことができれば他はどーでもいいみたいな考え方だったが)
MAKEしていければ良いな楽しいなと思う。
仕事とかとは別としてね。
それこそ、趣味の活動みたいなもんとして。
手帳手記_20170825_金_純粋さについて
最近、身の回りの人の純粋さというものが目につく様になった。(それは自分が純粋でなくなったから?)
それは、例えば、聞こえてくる会話の中だったり、相手の態度から。
歳をとると、その純粋さってやつは保持するのがなかなかに難しい。というよりは純粋というその状態で居られること、そのものが珍しくなってくる。
なぜなら、純粋さとは本人が気付いていないものであって、努力によって保たれるものではないからであって、また外部環境によって簡単に損なわれてしまうものだからである。
それは、1本の木が真っすぐに育つのと似ているかもしれない。
それは、自由気ままな猫のようなものかもしれない。
手帳手記_20170825_金
土日に予定がないのもあり過ぎるのも考えものだ。
いずれにせよ必要なのは楽しむまたは味わう余裕だと思うがね。
疲労なのかなんなのかわからんが、あれほど走っていた筆が走らなくなってきたぞ。これは隣に座るオッサンの無遠慮な咳のセイではあるまい?
人間関係というものはひどくもろいものだということを最近学んでいる。どんな理由であれ、相手が傷つく様な言動はつつしむべきであるらしい。
今、書けない一因もそれにかかわっているからだ。
しかし、年と共に変わるものもある。
退陣関係の考え方あ、相手への忍耐などである。
特になにもやった覚えはないが、これらは確実に2、3年前よりもキャパが広がっている様に思うな。
手帳手記_20170806_日_手帳手記
クーラーの効いた、やや肌寒い部屋にいるその男は、そう、満たされなさから、マリファナに匹敵する中毒性のあるiPhoneに手を伸ばし、まさか連絡が来てんじゃネーカと、メッセンジャーや、LINEや、instagramなんてもの(ようは電子手紙のたぐい)をチェックする、いつもの様に。
だが、いつもの様に、そんなサプライズは無く、一度手にしたそのオモチャを手放すと、もっとさみしくなると言わんばかりにヒカル画面を凝視し、大事な日曜の夜の時間を、スティーブジョブズの贈り物とともに過ごしていた。
彼は、そう、平日においては、この倦んだ毎日を「変えてやろう変えてやろう」と考えている訳だが、それが土日に入ると、ピタリと動けなくなってしまうのだった。それは突然思考回路を奪われたかの様に。
そんな彼がこうやって文を書く気になったのは、そう、かれが昔更新していたブログのためである。おそらく彼以外誰も知らないであろう、また、これから、そのブログにアップされるであろう、この文章をもって、彼は再び現実に戻ることに成功したのであった。すなわち、自分の文章には、彼のさみしさを打ち消す効能があったのである。
手帳手記_20170715_月
人生ってのは、志なきものをひきずり志あるものを導くとかなんとかって話を聞いたことがあるが。
問題はその志ってのはどうやったらある状態にできるのか?だよな。
手帳手記_20170708_土_服
どうやら、勘違いをしていた様だ。パソコンや、家や、そう、身の回りのモノが、整えば、最高に素晴らしい未来が訪れると。
実際は、無力な自分が一人でぽつんと存在しているだけだったよ。
道を、日向の道を、歩く様な。目的地へ車を走らせる様な。
デートする様な。
そんなのが、実際は、良いのかなぁ
豊かさってのは難しい。それは各人にしか、そう、そう。人それぞれってやつだからだ。
オシャレをして、出掛けようか。
手帳手記_20170708_土_COOL&SLOW
朝は8時、プロントは池袋、西口公園からすぐの店で久しぶりに書いている。ふう。最近の自分に言われた言葉に、「ゆっくりと呼吸することができない人は、豊かさを味わうことはできない」ってのがあるが、ね。一瞬一瞬に豊かさってのはあって、それは、エンジンがフル回転してる時ってのはなかなか味わえないもので。車で息を切らして目的地まで行って、「さあ豊かさを味わおう!」ってノリじゃ味わえものなんだな。目的地まで、お気に入りの曲を聴きながらのんびりと、ゆったりと、車を走らせて、目的地に着いた時点で、「ふう、着いたな~」ってノリの場合に、味わえるもんなんだと思う。なかなかそれが難しいんだけどね。