投稿者「new」のアーカイブ

手帳手記_20170904_月

27といえばもう良いおとなだ。
そんな実感が。

血眼になって仕事をして、
さあ帰ろうと乗る帰りの電車が満員で、やたらとおっさん達に顔をジロジロ見られたりなんかすると、だな、帰り道で思っていた豊かなことなんてのは一瞬にして消え去って残るのは3年前と同じイライラだけ。
そうすると、今日、今まで3年間も一体何をやってたの?とお決まりの思考パターンに入ってだな、結局答えなんて出せる訳もなく同じことを繰り返す訳だな。
27といえばもう良いおとなだ。
そう感じる今の自分の精神年齢は23くらいだ。要は23くらいから、俺の成長は止まってんだなこれが。
このままでは確実に今と同じ生活をしている30歳になるな。

手帳手記_20170904_月_豊かさについて

なんてこった、寝る前に書いている。
こんな夜は、宇宙について話そうか。
当たり前の安定なんてものは、なくて。
それは自分が用意するものらしい。
23時の夜行バスを待つカフェテリア。そんな夜が頭に浮かぶ。
両親が病気になったりなんかすると、不安ってのは大きくなるもんだ。
ママっ子なら、なおさら。豊かさってのは、自分でつくり出せるものだ。
豊かに生きたいもんだ。
豊かに生きたいもんだ。
無理のない生き方で、
無理のない生活を、
しよう。

手帳手記_20170901_金_マクラとロマンチストについて

昔、福山雅治のラジオで、30も半ばをすぎ、そろそろ独り身から抜け出そうとした男の人が、家賃16万の家に引っ越したという投稿を取り上げていたことがある。
それを読んだ福山雅治はもっと他にやり方あるよね?と爆笑していたけれど。これはその話に似ている。
すなわち、自分は今、女性関係の未来を明るくするために、かなり年季の入った枕を新しくしようとしている。

手帳手記_20170901_金

空腹だが書いている。
モノゴトってのは、一度乗り越えると、次回には少しばかり余裕を持って対応することができる。
そんなことを考えながら、長い一日を乗り切りましたけれども。
豊かな生活とは?ゆたかさとは、すなわち、味わうべき余裕があるということに、ええ、他ならんな。
余裕がありさえすれば、それこそ霞でも食べて生きてけるかもしれないな。

手帳手記_20170830_水

自分の行動哲学として、「何もしなければ同じ結果になる」というのがあるが、いささか、そのひとことに尽きるものではない、ということに気が付いた。
すなわち、一度経験したことと、初めて経験するときの、心のあり方。
これは例外だということに気が付いた。たとえば、一度経験したつらいことやしんどいことは、二回目からはさほどしんどくなくなったり、イライラする体験が一度あれば、二度目はさほどイライラしなくなるとかいったことである。

手帳手記_20170828_月

ことばにすると、どんな壮大なイメージも限定されて、味気なくなるもんだ。しかし、記憶に留めるために書くことにする。
週末アダルトなものに依存するサイクルから抜け出す方法は、私の場合はお酒を抜くことだった。
27にもなると、やはりそれなりのセルフイメージがあるので、シラフの状態であれば、そこまでバカな真似はしないということだな。
ただ、その状態で週末を超えてみると、やっぱり女性と付き合いたいなんて気に、やっぱりなってきた。
そうすると、いくつか変える必要があるべきだと思うところが出てくる。
例えば枕。例えば下着。例えば私服、スーツの刷新。例えばシーツ。例えば週末の車。自分の生活の人に見られても大丈夫か?なところ。
人と一緒に過ごして、楽しいか?なところが目についてくるんだな。
この女性と付き合いたいって話を一つのプロジェクトとして、(昔は、誰か女性と付き合うことができれば他はどーでもいいみたいな考え方だったが)
MAKEしていければ良いな楽しいなと思う。
仕事とかとは別としてね。
それこそ、趣味の活動みたいなもんとして。

手帳手記_20170825_金_純粋さについて

最近、身の回りの人の純粋さというものが目につく様になった。(それは自分が純粋でなくなったから?)
それは、例えば、聞こえてくる会話の中だったり、相手の態度から。
歳をとると、その純粋さってやつは保持するのがなかなかに難しい。というよりは純粋というその状態で居られること、そのものが珍しくなってくる。
なぜなら、純粋さとは本人が気付いていないものであって、努力によって保たれるものではないからであって、また外部環境によって簡単に損なわれてしまうものだからである。
それは、1本の木が真っすぐに育つのと似ているかもしれない。
それは、自由気ままな猫のようなものかもしれない。

手帳手記_20170825_金

土日に予定がないのもあり過ぎるのも考えものだ。
いずれにせよ必要なのは楽しむまたは味わう余裕だと思うがね。
疲労なのかなんなのかわからんが、あれほど走っていた筆が走らなくなってきたぞ。これは隣に座るオッサンの無遠慮な咳のセイではあるまい?
人間関係というものはひどくもろいものだということを最近学んでいる。どんな理由であれ、相手が傷つく様な言動はつつしむべきであるらしい。
今、書けない一因もそれにかかわっているからだ。
しかし、年と共に変わるものもある。
退陣関係の考え方あ、相手への忍耐などである。
特になにもやった覚えはないが、これらは確実に2、3年前よりもキャパが広がっている様に思うな。

やりたいことリスト_201708

・旅館に泊まる
・F.Pに全てアップする
・SE辞めて別のことを仕事にする(サラリーマンをやめる)
・家族をつくる(大丈夫にする)
・お金持ちになる(豊かにするために)
・体を鍛えて未来につなげる

手帳手記_20170806_日_手帳手記

クーラーの効いた、やや肌寒い部屋にいるその男は、そう、満たされなさから、マリファナに匹敵する中毒性のあるiPhoneに手を伸ばし、まさか連絡が来てんじゃネーカと、メッセンジャーや、LINEや、instagramなんてもの(ようは電子手紙のたぐい)をチェックする、いつもの様に。
だが、いつもの様に、そんなサプライズは無く、一度手にしたそのオモチャを手放すと、もっとさみしくなると言わんばかりにヒカル画面を凝視し、大事な日曜の夜の時間を、スティーブジョブズの贈り物とともに過ごしていた。
彼は、そう、平日においては、この倦んだ毎日を「変えてやろう変えてやろう」と考えている訳だが、それが土日に入ると、ピタリと動けなくなってしまうのだった。それは突然思考回路を奪われたかの様に。
そんな彼がこうやって文を書く気になったのは、そう、かれが昔更新していたブログのためである。おそらく彼以外誰も知らないであろう、また、これから、そのブログにアップされるであろう、この文章をもって、彼は再び現実に戻ることに成功したのであった。すなわち、自分の文章には、彼のさみしさを打ち消す効能があったのである。

手帳手記_20170715_月

人生ってのは、志なきものをひきずり志あるものを導くとかなんとかって話を聞いたことがあるが。
問題はその志ってのはどうやったらある状態にできるのか?だよな。

手帳手記_20170708_土_服

どうやら、勘違いをしていた様だ。パソコンや、家や、そう、身の回りのモノが、整えば、最高に素晴らしい未来が訪れると。
実際は、無力な自分が一人でぽつんと存在しているだけだったよ。
道を、日向の道を、歩く様な。目的地へ車を走らせる様な。
デートする様な。
そんなのが、実際は、良いのかなぁ
豊かさってのは難しい。それは各人にしか、そう、そう。人それぞれってやつだからだ。
オシャレをして、出掛けようか。

手帳手記_20170708_土_COOL&SLOW

朝は8時、プロントは池袋、西口公園からすぐの店で久しぶりに書いている。ふう。最近の自分に言われた言葉に、「ゆっくりと呼吸することができない人は、豊かさを味わうことはできない」ってのがあるが、ね。一瞬一瞬に豊かさってのはあって、それは、エンジンがフル回転してる時ってのはなかなか味わえないもので。車で息を切らして目的地まで行って、「さあ豊かさを味わおう!」ってノリじゃ味わえものなんだな。目的地まで、お気に入りの曲を聴きながらのんびりと、ゆったりと、車を走らせて、目的地に着いた時点で、「ふう、着いたな~」ってノリの場合に、味わえるもんなんだと思う。なかなかそれが難しいんだけどね。

手帳手記_20170630_金

27、28の初夏、まだ梅雨かもしれんが、
電車の中で書いている。自分の人生を、決められるとしたら、どんなプランを立てる?すなわち、どんな30歳に

手帳手記_20170730_日_TVのある生活とTVのない生活について

いずれにせよ、TVも本も音楽もパソコンも、iPhoneも、そう、孤独をまぎらわすものであるとすれば、どれが良いかってのは別に、人それぞれでありまして、TVは必要だけどラジオはいらないって人や、ラジオとパソコンがあればTVは要らないって人や、あるいは新聞だけで良いと言う人もいるかもしれない。ただ、この中で、やや副作用があると言えば、パソコンやiPhone、TVだろう。それはすなわち、これらは視覚を通して視聴するものであり、その輝度や、音による刺激は他のラジオや本や、新聞よりも強だからである。
ただしかし、これもタバコやお酒と同じ様に、豊かさにつながる場合もあって、そう、僕もこの手記を書き終えたら、instagramなんてそう、チェックしてしまいたいという欲求があって、それは依存しているなと思う訳だけど、ああ、なかなか自由にならないこの心。やっかいな状態だ。

手帳手記_20170730_日

「います。」
付き合ってる人が居るのかの問いに彼女は迷いなくはっきりと答えた。
私の心臓のあたりに、みぞおちのあたりに鉛が入った様な気持ちになったが、
そんな事実は、たった今までとても良いかんじに過ごしてきたのは一体…?とかを発生させるようなインパクトのある話でも、何でもないという風に「あっそうなんですね。」なんて相づちを打ってみたものの消える訳でもなく。
僕はまた、
「デジャブかな、前にもたしか…」とか思いつつ、その場をやり過ごした。
彼女の顔には、そう、とてもすまなそうな、だけども、それがあなたにとって何?と問う様な、もしくは少し残念そうな、表情があって、ああ。
僕は、その後しばらくは彼女の瞳を見られなくて、人生は、人生ってやつはああかくも無常なのね。と思いつつ日本酒をちびちびとやっていた。
彼女から与えられることに慣れすぎていた私は、更に、彼女から、無償で愛だけを貰おうとしていた様だ。こちらからは何を与えられるかも考えもせず。
だとすれば、他の男から、彼女が愛を受け取っている事実は私にとって望むところであるはずなんだけれども、こんなにみじめになるのは、私がmotherの愛情をねだる子どもの様に未熟だからなのかもしれない。(いや、そうだろう。)
自立した男になるには愛情は不要なのか?
いや、万人にとって愛なんてものは、ほんの少しでも満足できるものだと思う。
みじめなのは、みじめだと思うからであって…。豊かさはそこら中にころがっていて。
欲しい物が手に入らないと我慢できないやつのみに発生るする因果なのでありまして。
自分を教育しなおす必要がありそうだってことに今になって気が付いた次第なのであります。