書くことと歩くことは似ていると思う。 つまりどちらも能動的な
行為で、やった分だけ進んでいる行為である。
「努力」という言葉が嫌いである。というより、それを口にする時の考え方か。
つまり、何かを達成する過程をそう称するのであろうが、おそらく当の本人は
その行為を当たり前として行っているのであって、ムリをしてやっているので
は無いと思うのである。いや、ムリはあるかもしれないが、それも含めて
自分からやっているのである。
そこで”努力”という言葉に戻るが、この言葉を口にする人はどうやら、その
行為を”とてつもなくしんどくて絶対やりたくないことをやること”という風にとらえている
フシがあると思う。
駄文だな、こりゃ。 たまに硬い文章を書こうと思ったらこれだ。
こういう文章はね、予め、結論までのプロットを考えてから書かなきゃ
意味が成り立たなくなっちまうのさ。 だから俺みたいにトリアエズ
書いてる分には途中で頓挫してしまうのさ。
まぁ、だから、何が言いたいかっていうと、もしこの文章を読んだ人に
子どもがいたら、その子に「お前、努力しろよ?」みたいな事を言わないで
欲しいってことだ。ナゼって、”努力”に相当する行為というのはそうやって言われて
やるもんじゃなく、「自発的にやろうと思える行為」だからだ。 とまぁこんな
締め方でどうですかね 今日は ―4/19