濃い味の日常

 小雨の夜21:00に走りに出るのはなぜか?と、走りながらがら考えた。
 まず1つ目に、仕事のことを忘れたいからじゃないか、と思った。1つはそうだと思う。気分を切りかえたいから。


 走りながら考えた。自立するということは、アダルトなものに依存しないということは。文字通り、自分の足で立つ、自立する、ということじゃあないかと。アダルトなものに依存せず、彼女に依存してちゃあしょうがない。アダルトなもんに依存しないということは彼女にも依存せず自分の足で立つということだなと。ヤレヤレ荷が重い。自分一人の荷なのになぜこんなに重いのだろうか?


 走りながら考えた。なぜ毎日走っているのかを。思いついたのは、濃い味の毎日に慣れてしまったから、濃い時間を味わってしまったからじゃないかということだ。

 GWで、パブリックスタンドへ行ってめちゃかわいいコにLINEをきいて。そのあと未読スルーで傷心して。その濃い体験があって、それまでの薄味の毎日から濃い味の毎日を過ごしたら、
 濃い時の日常をつねに味わいたいという、無意識の欲求が働いているのではないかと思う。
 それがこの、ノンアダルトな日々、ランニングの日々、1日1ページの日々につながっているのではないだろうか。


 いつまでこの気が続くのか、ここまででもラッキー、すごいことだけれど。

―「濃い味の日常」 5/12(木)

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