手帳手記_20200429_水_理性と本能

 風呂に入りながら書いている祝日の水曜日だ。
 ここのところ、ずっと、下階の住人に悩まされている。はたしてどんな方法かはわからないが、私の居場所を把握したうえで、天井をドンと突いてくるのだ。これにはいささかまいる。常に心臓がどくどくしていて、最近では胸に痛みを覚えるようになってきた。
 まあ、例のごとく目には目をでやり返してはいるのだが。

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 今日はなぜ筆を執ったのかというと(それも風呂で)、まあ、久々にアダルトなもの断ちが19日目に入り、今日、誘惑を回避できた(?)のでそのあたりをふまえて今の状況を整理しておきたいと思ったからだ。

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 2週間ばかし、アダルトなものを排除した生活を続けていると、だな。どんなことになるかというと。例えば、ずっと味の無い料理を2週間食べ続けた男が、丁度、味の濃いカレーライスや、ステーキなんかを思い浮かべるかのような状態になる。
 つまり、一言でいうと刺激が欲しくなる。
 しかも、その刺激は無料で手に入り、誰にも咎められないのだ。つまり、2週間パンと水で生活していた男に、三ツ星レストランの出前の無料チケットが手渡されているような状態なんだ。

 だが、最近はそのチケットを使う回数が減ってきた。
 それはナゼか。ナゼか、それはおそらく年齢のセイだと思う。
 つまり、そんなチケットでも過去に何回も、いや、何百、何千回と同じメニューなのであれば、また、それが本当にタダではないと気付いたら、使わない選択肢も採れるようになるということだ。
 
 今回の場合はと言うと。
 私は本当にそのチケットを使いたかった。
 だが、いつもと違ったのは、自分からそのチケットを持ってレストランに行くのではなく、チケットは使いたいけど、ここに料理があれば食べたいな、レストランまで行こうとは思わない。というかなり微妙な理性があったということだ。
 
 そして私は本能的にそのチケットを避けていた。受け入れてはいなかった。だから、しばらく、ウーとうなった後、そのチケット(wifiとiPhone)を郵便ポストにしまい込むことができたのだった。
 少しも理論的じゃないけど、今日はこんな感じだった。―2020/04/30(水)

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