「誰が為に鐘は鳴る」

人は 気が小さいのか 他人から見た自分(他人が持つ自分のイメージ)に自分を
合わせ様としてしまうところがあると思う。
中学生とかはまサにそれで、 グレちゃったりするのは親や先生のそういう
偏見によるものが多いと思う。
さて、 自分が持つ自分のイメージ(自尊心)というのは大切だ。 そのイメージ
に無意識に自分を近づけてしまうからだ。
僕なんかはね、 そのことを知ってるから 自分のイメージは自分が決めると
意識しているけどね。
はてさて、今日の話はここから。 もし、自分に対して、良い認識、
イメージだな。 自分を認めてくれている人、 許してくれている人、
が居るとしたら、 それは、 有り難いことだ。 なぜなら、その良い
イメージに自分がひっぱられて、 成長できるからだ
しかし、 過度な期待はある意味マイナスで、 それは息苦しいから、
辞退しよう。 自分のイメージ 自分の歩幅、 自分の色、
自分の事は自分が一番よく知ってる、 自分が決めろ。
結局、 結論が変わっちゃったけど、 他人の偏見に引っぱら
れるな。 あいつはダメだ と思われていても。 あいつはもっと
できると思われていても。 そんなのは関係ない。 そんなのは関係
ない。 そんなのは関係ないんだ。 大丈夫。 自分は守れる。
―10/3(金)

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