誰かのつくる幸せのイメージってのは、確かに存在すると思う。
1990年代であれば、それはテレビ番組や、音楽に宿っていた。
そういう誰かの魂のこもったものによって、周囲の人達は
満たされ、幸せのイメージに感化されていたように思う。
そのことで言えば、1990年代は、単純というか、シンプルな時代
だったのか。TVという一つのメディア・媒体しかないから、
そこに一番力を入れられて、みんなは、多くの人は
それを見る。なんというか好循環な時代だな。
一方今は、メディアが分散し過ぎている。つまり?メディアが増
え過ぎて、作り手も、とても多い。その結果、全体的に、質の
低い、というか、高いもんも、低いもんも混ざって、昔は、質の高い
もので、満たされていた訳であるけども。今は、その、質の低い
もので、溢れてて。そして、みんなが、満たされなさを抱えている。
そんな時代のように思う。久々に固い文章。
だから?
だから、あああ。週末にまた、その満たされなさで、アダルト
ビデオ観て、XXしちまったって話さ。え?違うか。
だから?そうだから。昔のマスターピースのような。みんなが
満たされるようなものを、つくりたいと思ったって話っすね。
―3/13(土)